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れいゆ大學④① ドラゴンクエストの「やくそう」は「たいま」か

古来より、大麻は「神の草」と呼ばれてきた。


戦後になって日本はGHQの命令によって、戦前には普通に栽培していた麻を危険な植物として規制した。しかし、マリファナ以外の布製品などでは使われていたり、神道における麻との関係や、海外では大麻が国家によって認められている現状などと照らし合わせたとき、日本政府の説明はあまりに無理があるだろう。近い未来、マリファナは医療目的という建前も持たなくてもすべて合法化されるのではないだろうか。



ロールプレイングゲーム「ドラゴンクエスト」で勇者たちが頻繁に使う「やくそう」は、どう考えてもマリファナである。

草原や荒れ野、そして塔などで、モンスターたちと戦い、勇者たちは傷ついていく。彼らは町の道具屋で購入したり宝箱で発見する「やくそう」を「つかう」ことで体力が復活する。

果たしてこのとき勇者たちは、「やくそう」を傷口に塗っているのだろうか。そんなことでたちまち体力が回復するのだろうか。それに、彼らは「ぬる」ではなく、「つかう」と言っている。「つかう」という動詞は、さまざまな行為を示す。


命懸けの戦いの旅をしている中で、「元気になる」というのは何を意味するのか。傷が治る、疲れが取れるなどの状態変化のためにはいくらかの時間が必要なはずだ。また、傷ついた状態でも旅は続けなければならない。魔王による世界支配は着々と進んでいるのだから、どこかの町や城にずっと逗留することは許されない。

慢性疲労症候群などの現代的な病においても、その体の痛みは精神状態が原因である。ストレスを忘れられれば痛みを感じなくなる。だから、まずは医療という名目で大麻を解禁するべきだという運動がある。

ほかの薬物では、アッパーの状態、つまりハイテンションの方向に行くものがある。勇者たちの目的は魔王を倒し世界を平和にすることだから、ダウナーの状態、つまりローテンションのままで元気な状態を維持するのが最善である。それはまさに、マリファナだ。

つまり、実際は勇者たちは「やくそう」を塗っていたのではなく、煎じて飲んだり、あるいは燻ってその煙を吸っていたのだ。傷口に使う塗り薬はまた別にあると考えていいだろうし、そんなものくらいはゴールドで購入しなくても、町の人々がどんどん施すはずである。


また、「ホイミ」などの回復魔法は何かといえば、マリファナとしての「やくそう」を使うことによって覚醒し、「やくそう」を使わなくても瞑想や催眠によって精神治癒が出来るようになった状態を意味する。
 
ホイミとは、「母+意味」であり、「補+忌み」である。つまり、母なる宇宙と融合していき、神への忌みの心を補っていく。


最初のドラゴンクエスト、通称「ドラゴンクエスト Ⅰ」では、洞窟の中は真っ暗だった。そこで勇者が使うアイテムが「たいまつ」である。たいまつをかざすと、洞窟の中が少し照らされる。

この「たいまつ」が、「やくそう」が「たいま」であることを示唆する暗号なのである。

暗号は暗号らしく、即座に隠された。「ドラゴンクエストⅡ 悪霊の神々」では、もはや洞窟は最初から明るかった。しかし、ファミコンではバックアップによるセーブシステムが不可能だったため、「ふっかつのじゅもん」を書き写すシステムは変わらなかった。


ここで第二の疑問が生じる。復活とは何だろうか。

ドラゴンクエストでは、旅の途中で傷つき死んでしまっても、教会の神父にゴールドを献金して祈りを捧げるか、ザオリクなどの呪文を唱えれば、奇跡が起こって蘇る。主人公格の勇者が死んでしまった場合には、暗転したのち自動で復活し、王様に「死んでしまうとは何事だ」などと軽い調子で説教され、再び世界救済の人生が再開される。

城や教会や呪文での復活と、「ふっかつのじゅもん」の復活は、別のレイヤーにおける事象である。ゲーム内での復活は勇者たちが生き返って冒険を続けることであり、「ふっかつのじゅもん」はプレイヤーが再び勇者となって冒険を続けることを意味する。

松明、復活、大麻、復活。

松明と同じ木材である十字架によって召され、亜麻布で覆われ、そして復活したのは、キリストである。

キリストは「ナザレのイエス」という人名を持ちながら、神の子であった。それこそ新約聖書に記された彼の物語は、住民登録のために両親が土地を移動しているところから始まり、キリスト教では普通の人間の子として生まれた人物が神の子であるという事実に重大さを持たせている。あるいは仏教の開祖ブッダもまた王子として生まれた人であり、つまりどこの誰かがわかっている上で、超常識を解き明かしたことが偉大なのだろう。


戦後の日本人は、自分が存在しながら、別の何かのキャラクターに精神を憑依させてきた。それはテレビゲームだけの話だけではなく、誰かのファンになることや、誰かの思想に乗っかることも同様である。

大麻のような補助アイテムを使うにしろ使わないにしろ、瞑想をしたり神秘的な修行をすると、自意識が消えていき宇宙と一体化する。ブッダは「自分というのは妄想だ」と言い切っている。自意識をなくすことが悟りである。ともすれば、戦後日本は「都合のいい悟り」の中で発展をしてきたと言えるだろう。それは結果、強者と弱者の構造をより形づくった。


「やくそう」が現代の日本では、咎めを喰らってしまう違法行為とされている以上は、人々の心の異常を治すためには、同じくドラゴンクエストで必需品である「どくけしそう」を使うしかないだろう。

では、「どくけしそう」とは何か。

昔々の時代では、洋の東西を問わず科学が発展していないから、薬というのは当然、自然由来の植物や鉱物や動物の骨などをそのまま使ったものである。いわゆる「富山の薬売り」が行商で売っていた毒消しにしても、甘草や藤豆、そして硫黄などを配合した丸薬だった。

ドラゴンクエストの世界に近い中世ヨーロッパにおいては、北極海を泳ぐ巨大な哺乳類であるイッカクの牙が、伝説上の神獣ユニコーンのツノのようだと重宝され、毒消しとして信じられていたという。

毒とは、人類が自ら作り出したものだから、神秘によってのみ消すことができるのだ。


Illustration by A. Thorburn, 1920


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