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【雑文】人の努力や夢をバカにしなくなくなった理由 1選

 あれは二十歳ちょっと過ぎの頃。

 当時働いていたA型作業所で、
「俺、見上げる人はとことん見上げるけど、見下す人はとことん見下すよ」
 みたいなことを公言していました。

 二十代初めの発言にしてもヤバいのに、この歳(36歳)だったら色々とジ・エンドですね😅(笑)

 その象徴的なセリフの通り、山治田は人様の努力や夢を、尊敬することもあれば、内心冷笑することもありました。
 イヤな若者だな(笑)

 その冷笑的な態度はどこから来ていたのか。

 他ならぬ自分自身が謎の自信に満ち溢れていたからなんです。
 あー黒歴史だ😅(笑)

 あの謎の自信は「幼児的万能感」というそうですね。
 学生時代の満たされない気持ちを、その頃になって虚妄で満たしていたんだと思います。

 なにせ、当時は偉い創作家になる予定以外ありませんでしたから。

 そこから「何者でもない自分」まで持ち直して、納得できたのには、外的・内的要因がそれぞれあります。

 外的要因としては予定していたはずの将来が待っていなかったこと。
 その現実を突きつけられて、葛藤した末に「いい夢見たな~。さて、そろそろ起きるか~」と潔く諦められたのが内的要因です。

 外的要因が先行していたんですね。

 現実を突きつけられたとき、当時の自分には悪夢以外のなにものでもありませんでしたが(笑)かなりの葛藤を経て、地に足をつけられたのは、本当に良かったと思っています。


 人様の夢や努力を素直に応援できるようになったのはそこからですね。


 ただし、ずーっと幼児的万能感に支配されている元同胞は話が別です。

「危なっかしいなあ、現実に気づいた時のギャップに耐えられるかなあ」

 という目で遠巻きに見ています。
 オンライン/オフライン問わずです。

 あ、noteで日頃交流している方々には一切当てはまらないのでご安心ください😄💦


 もちろんいい変化もありました。
 変な万能感を手放すと、当時の仕事仲間や知り合いに対する見方が変わってくれました。

 たとえば、同じA型で働いていた中年男性(当時)で、びっくりするほど手先が不器用、典型的な多動性優位のADHD持ちの人が、俳優だのDJだの芸人だの、何者かになろうとしていたんです。

 普段は家でテレビばかり見ているとおっしゃっていました。
 ……が、一度、本気で上京しようとして周囲が止めたこともあります。

 そこだけ見ると、上記したような「ずっと幼児的万能感に支配されている中年男性」です。
 実際その通りだったのは否めません。

 当時は「なんだよこのおっさん」という目で見ていましたが、いまは別の面が思い当たります。

 体調が悪くても毎日ちゃんと出勤する、子供にやさしい一面がある、なんだかんだでピュアな人、そんな人なんです。

 とくに、勤怠の面では、山治田よりもその人のほうがしっかりしていましたね。

 そこに気づけよ、当時の自分よ(笑)

 

 とまあ長々と書いてしまいましたが、最後にひとつだけ。

 健全な自信ってどんな感じなんでしょうね。

 幼児的万能感と劣等感が共存した若者時代を過ごしたのでよくわかりませぬ😅

 山治田は「自己評価をしない」というスタンスをとっていますが、その場その場での気持ちの萎縮やネガティブさは避けられません。
 逆もまた然りで、ことがうまく運べばダメージを食らうこともないのですが、7:3ぐらいの割合でネガティブに傾くことが多いです。

 社交的な根暗なので、宿命といえばそれまでですね😆💦(笑)


 でもなあ。

 一度、健全な自信を持ってみたいなあ。

 そのためには根暗を直さなきゃなあ。

 ムリだろうなあ(笑)


 最後までお読みいただきありがとうございました、またお気軽にお越しくださいませ~😄