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敬老の日ですね。今年はプレゼント、いらないって言われました。

こんにちは。ゆうです。

私は24歳で出産し、母は49歳のとき「おばあちゃん」になった。
それから25年が経ち、母は74歳になり、6月に連れ合いを亡くしてひとりになった。

わりとのんびりと、暮らしている気がします。母の兄弟たちが健在で近くに住んでいるので、みんなで行き来してくれています。
本当にありがたいです。

東京にいる私とは、夜20時過ぎの電話が日課になっています。

私はサプライズが好きではないので、贈り物をするときは必ず欲しいものを確認するのですが、先日母に聞いたところ、今年の敬老の日のプレゼントはいらない、と言うではないですか。

理由は、私たちが北海道に帰ったときにお洋服を買って欲しいから。今はいらないと。
なるほど。そう来たか。

母は、人見知り(自称)の見栄っ張り(厄介)。
安物買いの銭失いをする人。
箪笥が5竿もあるけれど、1度も袖を通さないままの服がたくさん眠っています。

そんな母がよく着る服は、私のお下がりか孫が買ってくれたユニクロのブラウス。

6月の父の葬儀以降、必要に迫られてデニムを1本買ったらしいけれど、どうやらそれも母的には不満らしい。

だから、一緒に出かけて買って欲しい。
帰省のチケットは取ってあるので「いいよ」と返事をした。

母の「着る」についてのコンプレックスは根深く、私ではどうにもできない。
体型、見た目。そして老い。

10代後半から20代前半のモテ期を今でも忘れられない(人見知りと矛盾しているが突っ込まずにいます。娘としての優しさです)、ある意味、すごい拗らせなのだ。
(自慢げに話すのが可愛いので放置しています)

若い頃はよかった(?)が、今となっては欲しい服(似合う服)が自分で見つけられない。
あったとして、出せる金額と噛み合わない。
買ったとして、着ていく場所がない。

ずっと「できない」と言ってきた母。
実は家事も、祖母の体調が悪くなり、入院し亡くなるまでしてこなかった人でもある。
(何にもしていないように見えますが、ひとつの会社で定年まで勤めたことを尊敬しています)
人見知りで行動力がないことを盾に生きてきた母は、父が亡くなって過去最大の人生の帰路に立っている。

事務手続きなどほとんどしたことがないのに、父の死後に関わる事務手続きを全部やり遂げ、父方の身内と交渉し、家やお墓、お寺との付き合いをどうするか考え、今ようやく、その答えが出つつある。

きっと、今まで着なかったような服を母は着てみたいのかもしれない。
まるで別人になるかのように。

ただ、ずっとひとりで何も決めてこなかった74年の人生は長かったに違いない。
今回、やり遂げて得た「自信」があるはずだけれど、あと少し、足りなく感じているのだろう。
未だに「だってね」が、母の口癖なのだ。

帰省したら、そんな母の後ろをついて歩こうと思う。あれもいいね、これもいいねと言って歩く役どころ。
これも親孝行なのかもしれないなぁ。

これから子どもと一緒に予算を考えるけれど、一式買ってあげたい気持ち。

買ったらそのままお店で着せちゃおうかな。
そしてお茶して帰ろう。
そうしたら1回は袖を通した服になる。

うん。その方向で行こうと思う。

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