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そうなの!?共同親権

少し前から、音声配信アプリvoicyで台湾在住ノンフィクションライター近藤弥生子さんが、審議が始まっている共同親権について発信してくれている。

私はこの配信を聴くまで、離婚し子供を育てている方の片親に対し、養育費の支払いが決まっているのにも関わらず、支払ってくれず、子供の貧困がより深刻化していることを解決するための法案だと思っていた。

実際にそうした側面もあるのだろう。また、細野豪志さんのvoicyによると、どちらかの親だけの意見で、子どもに一方が会わせない、という問題が起きているのも、共同親権の話が進んだ理由の一つになるようだ。
それ以外に、外国で共同親権が認められている国が多く、日本人の親が離婚して子どもを日本に連れ帰ると、「連れ去り」に当たり、問題になっていることがあり、日本でも共同親権を法整備しようという流れがあるらしい。

Voicyの発信や、同じリスナー仲間のnoteを読んで考えたことを書いてみようかと思う。

共同親権がなくても養育費には支払い義務がある

私は共同親権について、養育費の支払い義務がより強固になるというイメージを持っていた。しかしながら、単独親権で片方の親にしか親権がなかったとしても、もう一方の親は養育費を支払う義務がある。それを踏み倒している人が、共同親権になったからと言っていきなり支払うようになるのかは甚だ疑問。

なぜ会わせないのか、に焦点を当てるべき

細野豪志さんは、ごく最近の発信もまとめると、虐待やDVがあった場合には絶対に会わせなくていいが、そうでない場合はちゃんと会えるようにするために、選択制にすれば良い、と発言されていた。
しかしながら今の法案の叩き台では表現が曖昧で裁判所は判断しにくいのではないか、と懸念されている。
近藤弥生子さんは、単独親権でも、もう一方の親に会わせている。通常の離婚ではそういう場合が多いのではないか。会わせないとしたら、理由がある場合が多いのではないか。単独親権が認められるには、DVや虐待の証拠を提出する必要があるが、大抵そうした人たちは急いで逃げて家から出てきていたりして、証拠がない場合が多く、単独親権が認められないパターンを懸念されている。
単独親権が認められない場合、住所などを隠すことはできず、さらに子どもが親の同意が必要なことがあるたびに、一方の親の了承が必要になり危険をはらんでいる、と。

DVやモラハラ、虐待は、男性女性関係なく被害に遭っている人がいる。
いずれの場合も、証拠を集めて認定されないと共同親権になった場合に前述のようなことが起こるとしたら…。

逆の場合を考えてみる。単独親権のままで、親権が持たない側が会えない場合、離婚時にDVや虐待があったわけでないなら求めれば良い。子どもたちに会いたい思いが本当ならば。
養育費を支払っている人は、その日を利用するなど、何かできないのだろうか。
払っていない立場の場合や今実際に会えない人は、誰に相談しに行けば良いのだろうか。

子どもに対して何の問題もなく、ただ親の感情の問題で会わせないことがあるとしたら、それもまた一種の虐待である。

親権を持つ親がもう一方を悪くいって聞かせるのは虐待の一種

少し話は逸れるが、私はシングルマザーの家庭で育っている。両親が離婚したのは2歳の時だ。
一つ上の兄と離れて私は「お兄ちゃんは?」と何度も聞いたという。尋ねた記憶はさっぱりない。けれど、住んでいた団地や兄が何かに乗って自動販売機でジュースを買ってくれた情景などは覚えている。幼い頃から繰り返し夢で見て改変されていた幻かもしれないが。
そんな兄とは私が6歳の時にまた一緒に暮らせるようになる。
母は呪詛のように私に話していた。
「お兄ちゃんは男で跡取りやから要るけど、あんたは女やから要らんねんて」
「お兄ちゃんはお風呂にも入れてもらったけど、あんたは一度もお風呂に入れてもらったこともない」
「お父さんはあんたなんか要らんかったんや」
浮気をして離婚した“最低な男”として語られる父親の、最低なエピソードとして語っていたのかもしれない。
しかしながら、私は必要とされていない人間だと言われているようにしか聞こえなかった。
子どもが嫌い、と公言して子供のまま振る舞うと怒る母親は普段私とほとんど会話をしない。

絵本もない家で、いつもテレビがついていて、幼稚園になって厚紙の着せ替えやら塗り絵をして1人で留守番をしていた記憶が鮮明にある。

兄と暮らし始めて2人で留守番をするようにってからも、呪詛は断続的に続き、心は蝕まれて行った。

夫婦の相性が最悪だったのはわかっている。だから夫婦仲がどうしようもない場合はあって離婚するのはいい。そして、父親は当時新しい家庭を持ったばかりで、養育費を支払っていたかどうかなどわからない。
さらに他の人の仲介で9歳ぐらいで父親と再会を果たしたが、それまでに父親が会いたかったかどうかは不明である。

けれども、もしも親権を持っていない方が子どもにとっても良い親だった場合、子どもがある程度大きければ会いたいと言い出すだろう。
または、子どもが小さい頃に別れたとして「もう1人の親は?」と聞かれても、それでも会わせないとしたらどう子どもに伝えるのだろう?
漫画などにあるように「死んだ」と言って聞かせる?それとも私の母親のように父親の悪口を言って聞かせるのだろうか。
目の前にいる子供の半分は一方の親の血なのに。
こんなことがあるとしたら、それは不適切な子育て(マルトリートメント)である。
親権を持つ方の倫理観にかけるしかない。

それを踏まえても、私は単独親権が良いと感じている。なぜなら、私は言葉の暴力で精神的な虐待を受けていたと考えているが、母親にその自覚は全くないからだ。
虐待で子どもが亡くなったニュースが流れると、その親を酷い奴だと言い募った。
確かに私は暴力は受けていない。一度だけ帰るのが遅くなった小学生時代にビニール傘で背中を叩かれた程度で、兄のようにゴルフクラブを持って追いかけられたりしていないし、殴られたこともない。
けれど、大人になるまでフラッシュバックしてしまうような心の傷を全くないものとされている私としては、虐待やDVは時に証明するのが難しいという近藤弥生子さんの意見に深く共感する。

共同親権は海外の問題にどう影響が?

そして最後に、国際結婚において日本人が子どもを日本に連れ帰って問題になっている話。
これは共同親権が日本にあったからと言って、全く解決しないのではないだろうか?どちらの法律に照らし合わせても違法なんですよ、と言えば日本人が日本に連れ帰らないようになるわけではないだろう。
法律がどうというより、自分の子供だから自分の国に連れて帰る、その考えだけなのでは?

結局のところ、共同親権に関しては、まだまだ議論の余地があるのだと考える。仮に導入するとしたら、単独親権を獲得するのにどうしたらいいのか。
あるいは導入せずに今ある問題を解決するにはどうしたらいいのか。

なんなら暴論となるがどちらも親権を持つのは不適合、とされた場合、どう育つのが子どもにとって長期的に良いのか。
どんな風にしても完璧はない。だからこそ、1番危険な道だけは排除したいと強く感じる。


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