#12 私が自分を批判してしまう理由

私はずっと両親に怒っていた。でもそのフェーズは結構前に終わった。親もただの弱い人でしかなかったのに私たち姉弟を育てて、あまりに不器用だったけどそれを責めても仕方がなかった。昔親がどんな人だったかは今の問題ではなかった。


次に私は悲しむフェーズに行ったと思う。精神がまともに育ってないことや精神障害を負っていることがやるせなかった。でも認知の改善をしている間にその事は特に問題ではないと感じるようになった。

今はまた別のフェーズにいる。親に文句を言うのは違うと分かり、病気なったことに文句を言うのも違うと分かり、自分の外側に文句を言っても仕方ないことを認めざるを得なくなってしまい、もう自分を研究するしかなかった。


そこで見えてくるのは自分の愚人っぷりだった。正直吐きそうだった。今は自分の愚かなところを一つ一つ味わってる。よく鬱にならなかったなと思う。

自分は他人を大切にしてこなかったなあとか、自分の感覚は常識的で正しいだなんて思っていて馬鹿で恥ずかしいなあとか……現実の自分を理解するたびに内省が起きて罪の意識とか自己嫌悪が強くなった。これは歪んだ認知の自責じゃない。正しく理解できていて真っ当な“情けない”の感情だと思う。


そう思ってもあの時はごめんなさいと言う勇気もない、謝ったところで自己満でしかないし……それで罪滅ぼしみたいに自分に自分の汚くて悪かったところを強い言葉で表して自分に叩きつけて味わわせている感じ。見るべき現実が、認知の歪みで見えなかったんじゃなくて見なかったんだ私が。見ないようにしたり他人のせいにしてきた沢山の自分の事を、今になってまとめてじっくり向き合っている。それが今のフェーズ。

数が多いし話が重いし複雑煩雑、どこから手をつけるといいかわからないから手前にあるやつから一つずつ、手に取って中を見て噛み砕いて不味くて吐きそうになって……と言うか何度も吐いた。


虚しさがあるよ。今まで頑張ってやってきたことが見当違いだったんだもの。『私はちゃんとしてる』っていつから勘違いしていたのかなあ。真っ当に真面目に真正面から物事に取り組んでいるつもりでいたんだよ。認知が歪み過ぎていて現実を正しく認識できていなかったの、本当は……これが正しいと言いながら自分の都合のいいようにばかり考えていたと思うし、優しい人でありたいと言いながら他人を全く大切にできてなかった、すごく軽視していたんじゃないかと思う。

見当違いなやり方で間違ってないと思って……きちー。しょうがない、自分でやってきたことだ。まだ手をつけていない私の残念な部分が山になって見えるよ。自暴自棄にはならないけど自罰が止められないよ山になってここにそれがある限り。全部見るはめになる前に新しい気づきが得られると助かるな😂そしたらまた、新しいフェーズへと行くんだろう


フェーズっていっぱい書けて嬉しい。
ゆー

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