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思えばあの頃は文章が好きだった

思えばあの頃は、文章が好きな男子高校生だった。

高校2年の夏だ。読売新聞社だったと思うけれど、小論文コンテストに出した。数学が大嫌いだった僕は、1年で見切りをつけ数学を捨てた。それが翌年の受験に大きく響くとも知らずに。

数学を取らない代わりに受けたのが国語表現という授業だった。ただ数学から逃げたかった僕は授業概要なんて見てなかった。ただただその時の数学教師が怖かった。

国語表現は眠たかった。心地よい先生の声と、温かい日差し。部活は毎日忙しかったし、ボランティアで動き回ってた。体も疲れてる、受けなきゃいけない授業の合間の小休止、寝るにはもってこいだった。
それでも俳句は面白かったし、新聞の読み方、小論文の書き方は「いつか役に立ちそうだなー」なんて思いながら引き込まれていった。

夏休みに近づくに連れて、小論文コンテストがこの授業の大きなテーマだと知った。読売新聞だったと思う。映画をテーマにした小論文だった。それまで長い文章は不得意だと思っていた。とても面倒くさがりで、原稿用紙を埋めることだけを考えていた。
小学生の読書感想文も卒業文集も、埋めることで手一杯だった。中学で行った“少年の主張”というテーマの文章では、今で言う進次郎構文みたいなことをしていた。主張するものなんて無いというのが私の主張ですみたいな文だった気がする。

高校2年に与えられたテーマは映画。映画に関することであれば何でも良かった。ちょうどその頃市原隼人主演のボックス!というボクシングの映画がやっていた(のだと思う)。今でも家族仲は良いが、その頃は毎月のように家族揃ってTUTAYAにCDを借りに行っていた。僕は音楽にしか興味がないので中で別れて、サザンオールスターズを漁る。決まって父親が何かしらDVDを持ってくるので、J-POPのコーナーに父親が現れたら帰る合図。それと合わせてレンタルして貰っていた。
(あの頃はレジがあって人が立ってたね。)

両親が居間で借りてきたDVDを見るのは決まって、返却ギリギリの週。だいたい土曜日。別に興味はないので他ごとをしているのだけれど、映画が流れ続けてると、気になって気付けばソファーに座っていたっけ。色んな映画を見たけれど、丁度論文の課題が出る前くらいに見てたのがボックス!だったと思う。

最初からボックス!について書こうとは思っていなかった。例の如くテーマなんて思いつかないタイプだ。現に今も、簡単に自己紹介しようとしたらこんな文になっている。
たまたまテレビで、「男はつらいよの法則」というのがあった。何かというと、出会いがあって苦難があって解決して別れで終わる……全話そういうストーリーになってるから感動するんだ……みたいな内容だった気がする(この番組の詳細はほぼ忘れた)。

高校は剣道部に所属していて、武士道シックスティーンという映画も見ていた(今は便利で剣道・女子・映画でググると題名出てくる 多分これ)。他にも何本か、いわゆるスポ根物を好き好んで見ていた。努力は報われるとか、悪いやつは裁かれるとか、そういう話が好きだった。今も好きだ。

スポ根物にもストーリーの法則があるんじゃないかと思ったら指が止まらなくなった。いや、手か。文章を考えるというよりかは、考えながら書くのが楽しかった記憶だ。書きなぐったものを授業で習った小論文に直して、提出したと思う。このコンテストは提出したものが返ってこないタイプで、コピーを取らなかったことを後悔している。

論文の内容は、スポ根物にも決まったストーリーがあると思う。人やスポーツとの出会いがあって、挫折があって、努力するシーンがあって、成功する、この流れに感動するんだ。みたいな内容だったと思う(うろ覚えだけれど)。
自慢をするとそれが佳作になった。全校生徒の前で文武両道なんですねって言われつつちっちゃいトロフィーを受け取った。いいえ剣道は何も実績ありません。選手宣誓を噛むくらいにはポンコツ部長です。

これをきっかけに高校2年の間は、文章をたくさん書いていた。夏頃には3年生が引退して部長になった。自分より強い後輩をどう指導するか、というか後輩怖い。すごい生意気。剣道部なのにめっちゃタメ口言われる。たくさん悩んだ。のを顧問の先生との交換日記に書きなぐった。

今思えばほぼチクリじゃん。先生はそれで根回ししたりとかはなかった。いつもちょこっとコメントつけて、成長を促してくれた。引退の後、後輩が悩んだ時に、後輩から「先生から“結城みたいにこのノートにストレス発散で書けばいいんだよ!あいつは文章力あるぞ!”って言われた〜。先輩そんな書いてたの?」と聞かれた。先生がそんな風に思ってくれてたのは嬉しかった。

僕がこのnoteの最初を飾ろうと思ってたのはこんな話じゃなくて、何故noteを始めようと思ったか。
長い長い前置きになったけれど、1つは文章を作ると夢中になれるから。夢中になれることがあるのは素敵なことだよ。
もう1つはこんなに文章が好きだった自分が変わってしまったから。この頃に戻りたい。

いつからか長い文をみると怖くなって、読むと心拍数が上がるようになった。長い文を打つと怖がらせるんじゃないかと思うようになった(動揺すると打ちがちだけれど)。元から読むのは苦手だったけれど、怖いと思うようになったのは、きっと高校3年からだろう。
いわゆるメンヘラを好きになった。メンヘラとかヤンデレという言葉はその頃知った。生徒会の仲間でヤバいという噂は聞いていたけれど、気付いたらメールアドレスを交換していて毎日やり取りしていた。

そしてTwitterという闇に足を踏み入れてしまった。付き合ってはいなかったけれど彼女と呼ばせて貰うが、彼女はTwitterの住民だった。「いつもTwitterにいるよ」と言われ、まだガラケーだった僕はTwitterというサイトだけを知って翌年スマホデビューする。

時を戻そう。深夜、受験勉強しながらメールをしていた。何のやり取りをしていたかはさっぱり覚えていない。流れの中で、超長文のメールと最後に現れたリストカットの写真。大量出血。身体が震えて止まらなくなった記憶がある。なんでそんな写真を送る話になったんだろう。喧嘩?付き合ってないのに?何か相手が病んだ。とかだった気もする。僕はこんなやつだ。これ以上関わって来るな。みたいな話だったっけ。

それ以降ほぼ付き合いがなくなったのか、自分の記憶から抹消してるのかさっぱり分からないけれど、緩やかに記憶から消えて、なんで長文が怖いのかもわからなくなっていた。
この話も今打っていて思い出した。今は12/27㈪0:07、かれこれ40分くらい打ち続けている。楽しい。
今日は雪が降るらしい。通勤のために5時起きなのに。

その後はTwitterという140字の世界に毒されて、100字どころか20文字にも満たないような呟きをし続けている。それに慣れてしまった現在は、時に二文字で“ww”なんて返事を残すくらいには文章力が落ちてしまった。当たり前に“スタバなう”。顧問の先生がみたら落胆されちゃうね。

ひろゆきが言ってたことなんだけれども。ネットにいる人なんてバカばっかで、文章打てない人ばっかだから教材売り込んだって無駄ですよ。この人たち1文字とか2文字でコメントしてきたりするんだから(笑)みたいな。

うーーーーん、その通り!

なんでもいいから長い文章を好き放題書いてみようよ。夢中になれるしきっと楽しいよ。
そんな動機。

どれだけハマるか分からないけれど、今回は楽しかった。
また書いてみようかな。
(3095 文字)

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