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来た道を戻り、日々少しの後悔を拾い集める

今思うと、何事も要領よくこなせる側の人間ではない、ということに早い段階で気づけたのは幸いだったのかもしれない。しかし、その対処の仕方を間違えたなと、30代になって後悔し始めている。私が物事を要領よくこなせない原因のひとつに、抱えきれる量が他者より極端に少ないことがある。……のだけど、今まではそれをカバーするために、"現時点で必要ない”と感じたものを置いていくことで何とか乗り越えてきた。要領よくこなせないのは、余裕がないから。無理やりにでも、余白を作らなくてはと思っていたから。

しかし、その置いてきたもののいくつかが、30代になった今必要になり、急いで拾いに戻ることが立て続けにおきている。今年になってその事態に遭遇し、思わず「まじか……」と本音が零れたのは二度や三度のことではない(口が悪いかもしれないけれど、「本当なの?」じゃニュアンスが微妙に違う。「まじか……」のほうがしっくりくるから許してほしい)。

我ながら馬鹿だなあと思うけれど、20代は本当に辛くて必死だったから仕方がなかった。社会のお荷物にならないために、これ以上傷つかないために、呆れて見捨てられないために、さまざまなものを天秤にかけて軽いほうを置いてきたし諦めてきた。

別に「かわいそうね」と同情を引きたくて書いているわけではない。自分が30代で同じ誤ちを繰り返し40代で後悔しないよう、釘を刺す意味で書いている。ひとまず、何かを手放したりやめたりしようと思った時は、立ち止まり「別の方法はないか」「本当に全部手放す必要があるのか」と考えることを忘れないようにしたい。手放すのではなく、一旦お休みして余裕ができたら再開するとか、完全に選択肢から除かずに、選ぶ確率は限りなく低いけれど一応残しておくという方法があることも。

30代の私は少し後悔している。そして、20代で置いてきたものを必死に拾い集めている、情けないけれど。もちろん、置いてきて手放して大正解だと思うものもある。けれど、仕方がなかったとはいえ、もう少し考えたらよかったのではないかという後悔が生まれたのも事実だ。

環境や年齢が変われば、体や心も変化する。すると、必要なものも変わってくる。先のことなんて誰も分からないし、何を残して何を手放すか決めるのって難しいと思う。だから今、私が言えるのは、感情であれ能力であれ代わりのきかないものやことを手放す時は慎重に、そしてよく考えたほうが良いということだけだ。




最後まで読んでいただきありがとうございました。