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笑顔でその手を握りたい




「おばあちゃん、危ないかもしれない。今ならまだ話せるから会いに来てくださいって」



90歳を過ぎた祖母は、心臓に問題があり今年の4月から入院している。年齢的にも手術は難しく、投薬治療で保っている状態。考えたくはなかったけれど「近いのかなぁ……」と、”その時”が現実味をおびてくる。


そんな考えが頭をよぎるようになった頃、母の携帯に叔母(母の姉)から連絡があった。


近頃、記憶があやふやになってきた祖母は、わけも分からず一人きりで入院となり、当初はしきりに「帰りたい帰りたい」と看護師さんに言っていたらしい。



そりゃそうだ。誰一人として会いに来ない。知らない場所に一人きりにされる。私が祖母の立場だったとしても「帰りたい」と零すだろう。


しかし、あれほど「帰りたい」と言っていた祖母が「帰りたい」を、最近はぱたりと言わなくなった。

諦めたのか自分の状況を悟ったのか、面会できない以上、祖母に確かめることすらできずにいたら、今回の呼び出しがきた。



こんな会い方は嫌だ。次に会えるのは元気になった時がよかった。そう思いながらも、急いで病院へと車を走らせる。



病院に着くと看護師さんから説明をうけた。
面会は1人ずつ、5分間だけ。正直「短い。足りない」と思ったけれど、今のご時世では仕方がない。むしろ直接会えることに感謝しなければいけない。


面会は最初に叔母が入り、その次に母、最後が私となった。


何を話そう。

そうだ、祖母に心配をかけないためにも絶対に泣かないようにしなければ。

でも、祖母は私のことがわかるだろうか?

いろいろな考えが、頭の中をグルグルとまわる。そうしているうちに私の番がきた。



関係者以外立ち入り禁止と書かれた扉を開け、祖母のいる病室へ向かう。付き添いの看護師さんが話しかけてくれたが、正直内容は頭に入ってこなかった。


緊張と不安で病室までの道すらほとんど覚えていない。もう、それどころではなかった。



病室に入ると、ベッドに横たわっている祖母の姿が見える。


ゆっくりと近づいて「おばあちゃん。会いに来たよ。わかる?」と、そっと呼びかけると、私の名前を呼び「会いたかった」と大声で言う祖母を前に涙が止まらない。


直前まで悩んだ会話の内容も、絶対に泣かないと決めた決意も全部意味がなかった。考えている時に、少しだけ無駄かもしれないと思っていたけど本当に無駄だった。

私は祖母を前にして、ひたすら「ごめんね」と謝るしかできなかった。



会いに行けなくてごめんね


1人にしてごめんね


寂しい思いをさせてごめんね


いろいろな想いがこもった「ごめんね」を祖母に伝えた。


「忘れられていたらどうしよう」という恐怖や心配は必要なかった。力強く握り返してくれる手も「手が冷たいが大丈夫ね?」と、私のことを心配をする姿も何一つ変わっていない。私の知っている、大好きな祖母のままだ。


落ち着きを取り戻した私は、看護師さんが時間を知らせにくるまで祖母と話した。時折、祖母の髪を撫でたり手をさすったりしながら。祖母の温もりを確かめるように。



祖母は今、奇跡的に体調も安定している。ご飯も食べられるようになった。でも、これ以上良くなることはないそうだ。



だから1日でも長く生きてほしい。

叶うならコロナが落ち着いて、自由に面会ができるようになる日まで。(本当は、もっともっと長生きしてほしい)


その時は、1回でも多く会いに行くから。そして、次こそは泣きながら手を握るんじゃなくて、笑顔でその手を握りたい。


最後まで読んでいただきありがとうございました。