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お別れのことを綴ります。

お久しぶりです。
Noteに戻ってまいりました。

私がNoteを続けていることを
近しい人は誰も知りません。
でも、これは息子達に残していきたいものでもあります。

これから先、どんな運命が待ち受けているのかわかりませんが
その時が来たら、このnoteの存在を教えて
私がいつ、どんなことを考え、悩み、嬉しがっていたのか
知ってほしい
そしてそれに共感をいただき
温かいコメントをいただいていたことも。

なにかの拍子に「お母さん実は・・・」と言いそうになって、
まだだったな、と口ごもることはありますが
できるだけ長い間、言わずに続けたいと思っています。

数か月Noteが止まっていたのは
いくつかの理由が重なったからですが
まずひとつめは体調不良でした。
年々増えていく体重を懸念して、昨年から「漢方外来」に通っているのですが、その血液検査で「血糖値が高い」と注意されました。
そこから、血糖値を把握するためセンサーを装着し、自己流の糖分コントロールをしたためか、体調を崩し、ある朝激しいめまいに襲われました。

パソコンや携帯のスクロールに酔ってしまい
画面をみるのも辛くて、仕事ができなくなったらどうしようという不安にも襲われた日々でした。

めまいに関しては、その次の診察で先生の「いろいろ気にしすぎ!関係ないよ」の一言で不思議とシャキッとしてしまいました。
めまいは、脳の異常がない限りはもう自分で慣れていくしかないとのことで
なるべく規則正しく生活するよう、特に就寝前の過ごし方に気を付けるようにしています。

そんなこともあった憂鬱な日々を過ごしていたあげく(?)
6年間お付き合いをしてきた彼にお別れを告げられました。
私と彼は、結婚というかたちにこだわらず、信頼関係を築いているところが理想的にみえると、
まわりにうらやましがられることもあり、私もそんな彼との関係が居心地良く、この関係に終わりが来るときはどちらかがこの世を去るときだと思っていたくらいでしたので、しばらくは受け止めきれず放心状態になってしまいました。
細かいことは、息子が読むことを想定してやめておきますが
この半年ほど要所要所で彼がとても冷たかったことは感じていました。
それでも私は「6年もたてばこんなものだ」と
まるでいとこのようになってしまった自分達が愛おしく
当然来るであろうこの先の二人の老後が、楽しみでもありました。

65歳と56歳と言ったら、もうそのままおだやかに、深く、家族のようになっていくばかりと思いませんか?
それは女だから思うことなのでしょうか。
彼は、自分の未来にもう私はいないと言い、「自分の自由な時間を持ち、新しいひとをみつけたい」と言いました。

彼は65歳で定年退職したことで、このお付き合いにいったん区切りをつけ、あいまいなことを
リセットしたくなったということなのだと思います。
彼には自分の家がありますが、週の何日かを私の部屋で過ごしていたので、90歳に近いお母さんをおいて家を空けることへの罪悪感が日に日に増して、私とこの部屋でただテレビをみて過ごすだけの時間に価値を感じなくなったということもあったと思います。
私も同じ立場なら、理解できなくもない心境です。

でも「新しいひとをみつけたい」という言葉には
「年上のあなたのほうが、それを言うなんて」
というのが、私のその時の気持ちです。

「わかったよ」と電話を切って、その言葉を心の中で反芻しました。
人の気持ちは変えることはできない、これは現実なんだと自分に言い聞かせ
すぐにスマホのカメラロールから100以上の思い出を消しました。
言いたいことをついに言えたであろう彼に失望し、憎らしく思っている間に、すべてのことを済ませてしまおう!と部屋中を見渡し、
彼を連想するものを全て捨てる作業を始めました。
その気持ちのうちにやらないと、もう捨てることができなくなりそうだったからです。

そうやって、お別れの儀式を終えても、ひとつすっきりしないことが残りました。
彼が今後も、一部生活の援助をしていくと申し出たことでした。
自分からこうすることの責任として、今まで二人で過ごしてきた私の部屋の電気代・犬のトリミング代・犬のごはん代を払い続ける。
そして私と犬に会いたいときにここに来るつもりだと。

「君が次の幸せをみつけるまで、これは続けるよ」
という言葉は、一見温かく優しいようで、私には、理解し難い申し出でした。
まるで離婚の慰謝料、子供の養育費のようで、私には初めての体験です。

そこから、何日たったのか
なにをしていても涙がこぼれてしまう日々、
自分がここにいないような不思議な数日を過ごし
ひとりでいないほうがいいと判断した私は、ごぶさたしていた人たちに連絡をし、他愛もない話をしました。

プライベートなことを話せる人には、言える範囲で近況報告をしました。
なんて勝手なのかとあきれてくれる人や
そのお金のつながりは断つことはできないのかという、ごもっともなご意見や、次があるから離れることになっているのかもと励ましてくれる人。
こんなことがなければ、触れられなかった人の温かみを感じることができたのは、この6年間が無駄ではなかったことの証かもしれません。

彼は宣言通り、「都合で明日行くかも」というあいまいな言い方をしながら
たまに顔をだしています。
私は昔から、別れた人とは友人になれないのを信条にしていました。
でも、そこにたいした根拠はないことに気が付き
これも時間が解決してくれるだろうという考え方を見つけました。

自分を好きじゃないひとと過ごすのは
楽しくはありません。
返ってくる答えの中に、未来の約束や、無条件の愛を探し、それがもうないことをまざまざと感じる。
別れても、この部屋に来る彼の心理には、私には理解できない彼なりの「人間愛」があるのでしょうけれど、私が欲しいものはそれではないからです。

ここまで読んでくださったかた
もやもや、いらいらさせてしまっていませんか?
別れ話をしたのに、まだ普通に顔を出す彼をゆるし、経済的に頼っている私。
なんてみっともない、格好悪いことをしているのかと
不快にしてしまったかもしれませんね。

弱くみっともない自分を
ここに記しておくことを許してください。
もうしばらく、時間をかけて
この気持ちをみつめて、乗り越えていきたいと思います。

思い返してみると
去年二人で見た場所で、また今年も桜を見たくて、彼を誘ったのですが、「いいよ」とは言ったものの、彼はそこには行こうとしませんでした。
代わりに、近所の河のほとりに車を停め、自分はここにいるから歩いておいでよと、その時も私はまったく、彼の気持ちに気付かずに、戻って彼に「ここもきれいだったね。ここで充分だった」と笑って言っていました。

桜の季節は一年で一番素敵な時期。
彼と初めてみた日のこともまだちゃんと覚えています。
写真は消してしまったのに、その写真を思い出すことができてしまう。
来年桜が咲いたら、今年川岸をひとりで歩いたことを思い出すのでしょうか。
そして、毎年桜を見るたびにそれを思い出すのかな・・・。

桜が悲しいことを思い出す花になってしまったらどうしよう。

それが今、私が一番心配していることなのです。








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