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 私はYouTubeを愛用している。
 あれには、無償で様々な情報がギッシリ詰まっている。
 内容は、ピンキリ。
 数多の動画の中から、“本物”を見つけるのはとても楽しい。
 動画の中に込められている“モノ(エネルギー)”を、感じ取るのも楽しい。
 だからといって、私が発見したものや、私が受け取ったモノを公に発信することに、私はあまり興味がない。
 いや、昔はあった。
 私の受け取ったものや、私が感じたもの、そして発見したもの。
 数年前までの長い間、そういったものをSNSにUPし続けていた。
 その頃の自分を想うと、とても愛おしい気持ちになる。

 私を見て!

 その行為はまるで、子供が親に、そして周りの人間に自分の存在を懸命にアピールしている姿そのものだ。
 なんて愛らしいのだろう。
 過去の自分だというのに、思い出すと抱きしめたくなる。
 けれども、気をつけなければいけない。
 なぜなら裏を返せばそれは
 “自己顕示欲”
 に他ならないからだ。
 だから少しだけ、恥ずかしい気持ちにもなる。
 とは言っても、自己顕示欲を持つことが悪いわけじゃない。
 ただ、過剰な自己顕示欲の裏には、“今の自分を認められない自分がいる”ということを知る事が必要になってくる。
 それに気が付かなければ、その自己顕示欲は、ただただ自分自身を苦しめる原因にしか、ならない。
 自分の自己顕示欲の裏側に気がついて、自分自身をまるまる認め、受け入れてしまうとどうなるか。
 表(公)に出ることに、興味がなくなってしまうのだ。
 何千年もの昔、山に引きこもって、自然と共に暮らしていたと言われる仙人。
 他の誰かに自分の存在を知られなくても構わない。
 俗世を離れてしまった彼らのそういった気持ちが、なんとなく、分からなくもなくなってしまう。
 そんな、仙人の心持ちが理解できたとしても、自分を外の世界に現すことに興味がなくなってしまうと
 現代社会の中で生きていく上では、状況によっては悩みのタネにもなったりするのが、物質世界の面倒なところである。

 見えない世界(スピリチュアルの世界)に興味があるから、やっぱりSNSを開くと、どうしてもそういった類いの情報が目に飛び込んでくる。
 その時も私は、歯磨きをしながらYouTubeを開いていた。
 興味をそそられるものを探して、片手で上にスクロールしていく。
 そして、とある神社の動画を見つけ、手をとめた。
 この神社の名前…見覚えがある。
 そういえば
 私は、ふ、と
 誰かが最近、この神社の事を話していたな、と思い出した。
 何となく、開いてみる。
 BGNと、テロップと、そして山道を進む様子が、その動画の中に現れた。
 どうやら山の山頂辺りに、その神社のお宮があるようだ。
 山道のいく先に、鳥居が見える。
 映像がその鳥居を潜った瞬間
 ぶわっ
 と、足元から暖かい何かが、上の方へ上がってきた。
 それはまるで、足元で火を焚かれたような感覚だった。
 熱を持った煙が、踵の方から一気に胸の辺りまで立ち上ってきたような感覚。
 そして私は
 う、
 と胸を手で押さえた。
 熱量が胸のあたりにきた途端、心臓のあたりが、ずきり、と痛んだからだ。
 たまにこういう事が昔からあるので、まただ、と思っただけだったが、何せこうなると息をするのが辛い。
 身体を前に屈めて目を閉じて、息を浅く小さく、小刻みに吸って吐く。
 落ち着いてそうしていると、だんだんと胸の痛みが治ってくる。
 ふう
 と一息して、私は身体を起こした。
 …まだ多少痛むが、息が出来されすれば大丈夫だ。
 私は流れたままの動画に再び目をやった。
 相変わらず、足元から立ち上る熱は感じられる。
 それは左側の耳の辺りで存在感をアピールしているようだった。

 何か来たかな…

 私はそう思いながらも、口を濯いで歯磨きを終え、タオルで口を拭く。

『素晴らしい力だ』

 口元からタオルが離れた途端に、私の口は、自分の意思とは関係なく動き始める。
 これは、私の特殊能力「口貸し」。
 見えない存在たちは私の口を使って、様々な事を話すのだ。
 側からみたら、まるで「イタコ」のような能力だが、イタコのように霊や見えない存在を、自分の身体に取り憑かせているわけではない。
 エネルギーで在りながら、個々の意思を持った彼らの伝えたい事を、信号で受け取り口を動かし言葉(音)にする。
 これが、私の能力だ。
 動画の中からこちらにアクセスしてくるその存在は、続けて私の口で言った。

『なぜ、その力を役に立てない。
 そんなに素晴らしい力を、なぜ役立てない』

 何やら激しさを感じる。
 腹立たしい想いだ。
 そして同時に

 力さえあれば…
 私に、力さえあれば…

 という想いが、その言葉に微かに含まれているのを感じる。
 動画の神社に存在する者だろうか。
 大地のような力強いエネルギーを感じるけれども、男性のようで、どこか人間くさい。
 この存在…彼は後悔している
 と、私は直感した。
 何を、というところまでは分からないが、とにかく今私の口を使っている彼には、後悔の念があるのが分かる。
 そのせいだろうか。
 治ってきたとはいえ、心臓の痛みはジクジクと続いている。
 い、痛い…
 そう思いながら、胸をさする。
 そうしていると
 まるで彼の念に対抗するかのように、私の中から、急に言葉が湧き上がってきた。
 自分でも止められない、考えのような、想いのような言葉。
 強く、それは彼に話しかけ始める。

 この力は太陽。
 役に立てる、立てないのモノではない。
 ただここに在るだけの力。
 存在する事に意味がある。
 太陽のようにあるがままにここに在り
 全ての者に、平等に降り注ぐ。
 この力を役に立てるか立てないか、は
 力を持つ私ではなく
 この光を受け取ったそれぞれが決めること。
 どう役に立てるか、捨て置くかは
 力を持つ私ではなく
 この光を受け取った各々が成すこと…

 私の中で、それらの言葉が一気に捲したてられる。
 同時に、肌で感じていた圧が、まるで風船のように、しゅう、と萎んでいった。
 そして彼はもう、私の口を動かす様子はない。
 気がつくと、心臓の痛みは消えていた。
 けれども、彼はここから居なくなったのではないようで、私は背後に変わらない暖かさを感じていた。
 どうやら、納得はしてないけれど様子を見てみたい。そんなところなのだろう。
 と、いうことは…
 しばらくここにこのまま居るつもりなのか。
 また、周りに増えてしまった…。
 やってしまった、と思ったが、こうなってしまっては仕方がない。
 はあ
 とため息が出る。
 まあ、気が済んだら、在るべきところに還るだろう…。
 そう思って私は、YouTubeを閉じて日常へ戻った。



 “力”といえど、様々な方向性がある。
 先程、彼の言った“素晴らしい力”というのは、私の特殊能力のことを指しているのではなく
 エネルギー的な力のことだろう。
 これまでも、沢山の人に“エネルギーが強い”と言われ続けてきたから、心当たりは大いにある。
 しかし、どんな種類の力であれ、「過ぎたるはなお及ばざるが如し」。
 大きな力であればあるほど、それを使う者の精神レベルや在り方が問われる。
 バランスが崩れてしまえば、周りだけでなく、自分自身も壊してしまう。
 どのように力を使うか…
 私もずっと、どのようにすれば良いのか、と悩んできたことだった。
 あの時、私の中から湧いてきた、彼に伝えた言葉は
 私のもののようであったし
 私のものではないようだった。
 自分の意思であるようでいて、自分の意思では止められない。
 そんな不思議な感覚だった。
 あれがいわゆる…ハイヤーセルフ?魂の叫び?
 そこの辺りはハッキリしない。
 しかし、それが誰のものであれ
 私はあの言葉に、自分の魂がこの世界に持って降りたであろう、“力”の使い方の答えを見つけたのだ。

 “太陽”ならば、誰もが見ることの出来る位置に居なきゃね…

 私はそう思って、真剣な表情でパソコンに向かっているアキの背中に声をかけた。

「あのさ、YouTubeのチャンネル作るのって…
 どうしたら出来るのかな?」

 突然の質問に、アキが
 えっ?
 と、少し気の抜けた声をあげて、私の方を振り返った。

・おわり・

*実話を元にしたフィクションです。
*エンターテイメントとしてお楽しみください。
*実際の個人名、団体名は使用しておりません。



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