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アンタなんか大嫌いってわたしに言った女の子のこと

 大学生だった頃に同じバイト先だったKちゃんという子と仲良くなった。Kちゃんはわたしとは違う大学に通っていて、年はわたしよりも一つ上だった。

 次の年の春にKちゃんからバイトをやめると聞かされた。よくよく訊いてみるとバイトだけではなくて大学もやめるという。わたしは今もそうだが無神経というか不躾なところがあって、そのときもKちゃんになぜ大学をやめるのかと問い詰めるようにして訊いた。Kちゃんはそんなわたしに金銭的な事情でやめるのだといった。

 金銭的な事情という言葉が意味するものはわたしだって知っているつもりだった。でもその言葉が意味することをわたしはきちんと理解できていなかった。そして彼女は実家には帰らずにこのままこの街で働くつもりだといった。そのほうがお金をたくさん稼げるからと。そして彼女は夜の仕事をはじめたが、それからもわたしと彼女は連絡を取り合うようにしていた。

 彼女が夜の仕事をはじめてから一年が過ぎたころ、思っていたほど稼げないという理由で彼女はより良い報酬をもとめて夜の仕事の中でもさらにしんどい仕事に転職した。そしてそのことを知らされたわたしは驚いて彼女に問いただした。

 「なんでそんな汚らしい仕事をするの?お金ってそんなに大切なの?」

 わたしは彼女にそういう意味のことを言った。いまはその仕事のことを汚らしい仕事だなんて思っていない。お金がどれだけ大切なのかも身に染みてわかった。でも金銭的な苦労は一切知らずに育った甘ったれた大学生のわたしにはそんな簡単なことすら理解できていなかったし、想像しようとすらしなかった。そんなわたしが口から吐き出す無神経な言葉の数々をKちゃんは困ったような顔をしながらときおり頷きながら聞いていた。

 Kちゃんは誰にも言えないことをわたしにだけは話してくれたのだ。それはどれだけ勇気がいったことだろう。いまなら分かる。でもその時のわたしはKちゃんの気持ちをちっとも分かってあげようとしなかった。

 それから半年ほど経ってKちゃんと飲みにいくことになった。半年ぶりに会ったKちゃんはいままでとはがらりと雰囲気が違っていた。

 普段から穏やかだったKちゃんはこの日は不自然なほどに終始ハイテンションだった。Kちゃんはお酒の飲み方も激しくなっていた。早いピッチでグラスを開けては高いテンションでひたすら喋りまくる。そんなKちゃんに圧倒されるようにして、わたし達はKちゃんがよく行くというバーに行った。バーといってもぜんぜん気取ったバーではなくてカラオケが置いてあるようなごちゃごちゃした雰囲気のバーだった。

 そこでもKちゃんは早いペースでグラスを空けては高いテンションで歌を歌い、わたしにも歌うように言った。

 彼女とカウンターに並んで座りながら、酒がまわってさらにテンションが高くなった彼女が話す脈絡のない言葉に耳を傾けていると突然彼女がこんなことを言いだした。

 「ねえ、このあいだお父さんが死んでさ、わたしがお父さんのお墓をたてたの」

 Kちゃんが急にそんなことを話しだしたのでわたしは戸惑った。

 そしてお父さんが亡くなったんだと思った。Kちゃんが大学をやめて働き始めたのもお父さんが病気になって働けなくなったからだった。

 「娘の私がお父さんの葬式代を払ってお墓をたてたんだよ。お母さんも弟も葬式代も払えなかったからさ」

 そう言ってKちゃんは無言になった。わたしはKちゃんの言いたいことがよく分からなかった。そして黙りこくる二人。出口を見つけられない感情が静かに沈殿していくかのような沈黙。そしてしばらくするとKちゃんはふらつきながら店を出ていった。

 わたしは心配になってKちゃんのあとを追うと、Kちゃんは狭いエレベーターホールのすぐ横の非常階段の踊り場にしゃがみこんでそのまま横になってしまい、そして目をつぶった。こんなところで寝てたらだめだよ、店に戻ろうよといってわたしはKちゃんの痩せた身体に触れた。

 「うるさい!アンタなんか大嫌い!」

 Kちゃんはそういってわたしを見ずに怒鳴った。

 Kちゃんは泣いていた。

 わたしはKちゃんの口から出た、アンタなんか大嫌いという言葉にものすごいショックをうけた。でもKちゃんは泥酔しているから仕方がないんだと自分に言い聞かせた。

 Kちゃんの頬の涙を手で拭おうとしてKちゃんの頬にそっと触れた。酔ったKちゃんの体温を指先に感じた。湿り気を帯びた熱い息が僅かに開いた口から洩れていた。美人では無いかもしれないけれど整っていて品の良い、充分以上に魅力的な顔。

 わたしはKちゃんが好きだった。大切な友達。でもきっとわたしは何もわかっていない。そしてKちゃんにかける言葉も見つからなかった。わたしに出来ることなんてきっと何ひとつないのだろう。わたしはしばらくKちゃんの横にしゃがみこんでいたけれど、それ以上のことは何も出来ないし何をすればいいのかも分からなかった。

 Kちゃんの隣に一緒に寝ればよかったのだろうか。固くて冷たい非常階段の踊り場で、包み込むようにしてKちゃんの華奢な身体を抱きしめて、そのままいつまでも隣にいてあげればよかったんだろうか。でもそのときのわたしには分からなかった。わたしはKちゃんをその場において帰った。そしてKちゃんとはそれから連絡が取れなくなってしまった。

 学費を稼ぐために夜の仕事に身を投じる女の子が多いというニュースを見た。アーティストの奈良美智氏が風俗で働きながら大学に通おうとする女性についてコメントしたところ、その発言が炎上するという騒動もあった。わたしはそういう話を耳にするたびにKちゃんのことを思いだす。Kちゃんの思い出はまだ7年前のことで、わたしの手のひらはKちゃんの身体に触れたときの感触をいまでも憶えている。

 ねえねえ、自己責任ってなんですか?夜の仕事をするようになった女の子もその両親もみんなするべき努力をしなかったのかな。そんな家の子が風俗で働くのは当然のこと?それとも彼女たちが風俗で働くのは贅沢をしたいから?みんながそうなん?みんなやりたいから風俗やってると思う?

 努力が足りないからそうなるとか、自己責任という言葉を無神経に使う人にはもううんざりです。

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