見出し画像

エピローグ

 令和6年1月28日18時30分頃、X(旧Twitter)で「北方のアテネ」といつものように頭に浮かんだうわ言をツイートしようとしたところ、送信ができなかった。
 「再送信してみるか。それとも重複してるだけでツイートできてるのかな」とガチャガチャいじってみるが、どうにもならず。諦めてTLに戻ってみると…

まさかの永久凍結

「ホント日本って住みづらくなっちゃった…(ブラマジガール)」と奇声をあげつつ、避難用アカウントである「忌み子」に逃げ込み、事の顛末をツイートしたのである。
その後、「みなと」を紐づけているメールアドレスに、Xからメールが来ていることに気付いた。メール本文には、凍結対象となったツイートが列記されていた。以下は、そのメール本文。

Xから届いたメール

うん、仕方ねぇなこれ

確かに「暴力的なツイート」である。ぐうの根も出ない。
Twitter歴9年、変なスポーツマンシップからくる最低限のマナー(笑)と「越えちゃいけないライン」を守るバランス感覚でのらりくらりと凍結や規制を回避してきた自分だが、いつしか感覚が狂っていたのだなと気付いた。
同じように苦難の行軍のような生活をしていて、共鳴しあっていると思っていた数人のフォロワーに切られたのも、このように先鋭化するツイートに嫌気がさしてのものだったのであろう。
率直に、反省してしまった。すみませんでした。

ツイートが過激化しつつあったみなとは、いつしか規制の常連となりつつあった。特に、今年の明けからの規制は長く、10日ほど規制がなされていた。

さて、ここで話は少々内面描写に移る。
みなとは、俗物である。自分は「いいね」をほとんどしないくせに、自分のツイートが「いいね」されると満たされる。リプライをされるとうっとうしく感じるくせに、自分のツイートが拡散されるとゾクゾクくる。あまりにもコミュニケーション能力が低すぎるあまり、「ふぁぼりつ」を投げつけられる間接的な承認欲求の充足が心地よいのである。

そんな自分にとって、1月上旬から中旬にかけての規制は、苦しいものであった。なんせ避難アカである「忌み子」の実質フォロワーは10名もいないのである(数度誘導を試みたが、ほとんど誰もついてきてはくれなかった)
もちろん、厳選アカ(笑)などというものをフォローしてくれた優しい優しいフォロワー諸賢は漏れの世迷い事やくだらない旅行ツイートに「いいね」を飛ばしてくれたが、雀の涙であった。
それに対し、「みなと」は多くの人物にミュート、そうでなくとも黙殺されているとはいえ、それでも200人強のフォロワーがいた。旅行趣味や、競馬趣味で個々に集ってくれたフォロワーさんもいた。
「みなと」が無ければ、やっていけない。そう思った10日間である。

そんななかでの永久凍結であり、率直にTwitterへの意欲が冷めてしまった。
対象が内向きな「忌み子」を同じような規模のアカウントに育て上げるのには時間も労力もかかるだろう。フォロワー数だけ稼げばいいのではない。快適なTLを構築するには、年月をかけてお互いを知ることも必要である。もはや、その過程に耐えられない老いた自分もいた。改悪とCEOの奇行でお先真っ暗なTwitterと心中する気にもならなかった。

フラッシュ倉庫や動画紹介サイトを経て、ゲームの攻略掲示板で初めて個としての人格を持ち、その後匿名掲示板(特になんJやおんJ)や、艦これwikiのツリー掲示板などを経て、2016年2月に流れ着いた場所がTwitterであった。
殺害予告からの逃亡や、就活による中断を経ながらも、9年近くこのプラットフォームにいたことになる。9年…自分の人生の3分の1を超えている。その期間に書いたツイートは、10万を超えていると思う。
その10万のツイートも、今や「忌み子」アカウントの834ツイートを遺し、全てが水の泡である。
これだけの労力を、たとえばブログなどに投じていたら、なにかしらの成果物はできたのではないだろうか。特に18きっぷ旅行や球場巡り、寺社仏閣巡り、賭場巡りといった実踏系の記録は後進への道標となりえたであろうし、他にも、発狂して一日にして競馬で90万円、競艇で60数万円負けた敗北体験、自殺を決意して奔走した数日間などは、生きた文章で残すべきではなかっただろうか。そんな後悔も湧きだしてきた。

続けて、Twitterでの良き思い出、出会いを書こうとも思ったが、心がしんどくなってしまったのでここで終わらせることとする。
2月の四国旅打ち、香港マカオ紀行などをツイートできなかったのはやや無念である。ブログなりで、ちゃんとした紀行文として残すことができればよいが、苦役と迫害で脳が溶け、Twitter仕様にカスタマイズされてしまった自分には、それももう難しいかもしれない。碌に友人知人がおらず、職場でも孤立している自らの孤独と、向き合うときなのかもしれない。

しかし、それでもきっと自分は、命ある限りインターネットをクラゲのようにウヨウヨしているのではなかろうか。

自分がかつてやっていたアカウントで、いつものようにメンヘラと化して「こんなアカ早く辞めたい。時間の無駄」などと夜泣きしているとき「みなとさんがアカウントを消しても、趣味を続けてくれてさえいれば、いつかどこかのSNSや現場でまた逢えるかもしれないと思うと、凄い話ですよね」というようなことを言ってくれた人間がいる。その通りだと思う。ネット人格の輪廻転生を繰り返し、今日別れた貴方と僕は、いつか再開するのである。それを聞いた僕は宮沢賢治の「ビジテリアン大祭」の主人公の演説を思い出した。

またいつか、インターネットのどこかで逢いましょう。そのときは貴方も僕も違う名前かもしれませんが。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?