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立てるなら二本指


新年明けましておめでとうございます。

前回の投稿からだいぶ期間が空いてしまった。年始という一つの区切りとしてだとか、最近会った友人に感化されたとか、楽しみにしてたデートドタキャンくらったりとか、諸々の感情が入り乱れてる今日この頃ですが、とりあえず昨年の総括、新年の抱負と行きましょうか。

2020ダイジェスト

2020年、まぁ大変な年だった。
まず1月1日。

目覚めたらそこは病院でした。

2019→2020の年末、友人だちと都会にくり出し年を越したのだが、見事のハッピーニューイヤー泥酔。どうやら酔っ払ってホームから線路に転落し右後頭部を強打。右耳の聴力は著しく低下し、三半規管がイカれたのか、明けてからの三日間はまっすぐ歩けないわ一歩歩くたびに吐きそうになるわで本当にキツかった。

耳鼻科に通院し、ある程度は聴力は回復したけど、四六時中耳鳴りが響いてる。今こうしてパソコンに向かっている間も、ささやかに、だけれども確かそれは鳴り渡る。多分これ死ぬまで治んない

こんな上場の滑り出しで始まった2020。

2月には卒業旅行(?)として1ヶ月間インドに滞在。そこで行った10日間の瞑想合宿では割と人生を見つめ直す貴重な経験であった。ま、二度とやらんけど。

そして三月。新型コロナウィルスの世界的大流行の波が日本にも届き、当たり前だった日常が失われた。新しい生活様式にシフトすることを余儀なくされた。50年後に見返してもこの出来事はまさしく歴史の転換期と呼ばれるんでしょうね。

僕自身その影響をモロに受けた一年でもあった。

世界中で蔓延するウイルスの影響で、元々海外での就職が決まっていた僕の派遣計画は2ヶ月ほどの延期が発表された。そんな暇を持て余す流浪人となってしまったので、勢い8割で牧場で働いてみることに。今まで聞いていた畜産業界のリアルを目の当たりにする貴重な経験だった。

6月に入るもウイルスは猛威を振り続け、世界中でも一向に収束の兆しは見えない。海外派遣の延期通達も繰り返されるのみで目処は立たない。流石に働かなやばいなと感じた僕はインターンシップを探し始めた。

エクセルどころかパワーポイントすらろくに扱えるか怪しい僕だったが、友人からの誘いを受けITの世界に足を踏み入れた。縁あって雇ってくれたIT企業にてインターンエンジニアとして働かせていただいている。

ただこの世界マジで宇宙。初めは(なんなら今も)何がわからないか分からない状態で本当に禿げそうになった。

そこからは特に大きなイベントもなく、外出や人との接触も疎まれるこの世界で淡々とカレンダーがめくられていった。

おそらく最低の年ではあったが

正直、コロナ禍のせいで良い出来事と言えるようなことは人生の中で最も少なかった。所謂「最低の年」ではあったかもしれない。だけどそれはこれまでの人生と比べ、相対的に見た話。絶対的に「最悪の年」であったかと言われると個人的にはそんな気もしない。

もちろん、中国の田舎で誰かがアルマジロだかなんだかよく分からんやつを食おうとか思わなければ、世界中のトイレットペーパーがなくなるとも、強制マスクの世界になることも、僕の仕事が吹っ飛ぶこともなかったしそれはそれで素晴らしいワクワクする出来事が待っていたに違いない。

このパンデミックに対しては傲りがすぎた人類に対する、天の裁きだとか時々聞いたりもした。確かに人間の行き過ぎた開拓によって自然と文明の距離が近くなっただとか、不自然的なペースで進む人口の増加だとか、もとを辿ると要因は我々に立ち返ってくるかもしれない。

だが実際に存在したものはそれが起こるまでの必要条件といくつかのきっかけとなる偶然のみだと僕は考える。

こうなる事が決まっていたとか、運命だとか必然だとかそういうことではない。全ての事象はただ要因が存在するだけでそこに意味はないと思う。人はなんだか全ての出来事に絶対的な意味だとか神の思し召しのような理由を求めがちな気がする。

だって、どう考えても世界中でケツを拭く紙が枯渇することに意味なんかあるわけがないでしょう。

だから僕は、僕の仕事が飛んだという人生においてなかなかクリティカルなトラブルについても、ただの事実として素直に受け止めることにした。そこにそういう宿命だとか運命だとか、意味を求める先に何もないと感じたからだ。

しかしながら、個々人がそれぞれ起きた事象に対して独自の価値を見出すことはできるはずとは思う。あの時にあれがあったから今があるな、と過去の出来事を振り返れるようなそんな価値を。

僕にとって2020はそんな年であったと感じる事ができる。

プログラミングなんて、こんな暇がなければ始めてみようとなんぞ思いもしなかったであろう。しかしここで得た知見は多少なりともこの先のキャリアにいきてくるのではないだろうか。小学生の水泳の体育以来避け続けた水泳。この夏に海とプールに通い、蹴伸びからスタートした僕だったが、今では海のブイにタッチできるまで泳げるようになった。そして水への恐怖を克服し始めたサーフィン。正直ドチャクソむずくて上達は全然できていないが、自然と向き合い、波という地球の鼓動を感じる、そんな感覚がたまらなく好きだ。これから先も可能な限りは海に出て自然と対話する、そんな時間を過ごすつもりでいる。

こういった点ではコロナ自体には価値はないが、その副産物たちのおかげでこの一年は実りのある、価値ある一年になったのでないだろうか。

楽観的不条理主義

要点をまとめていくと世の中で起きてしまった事は、おきた事であってそれ以上何も意味なんてものはない。ただ身の回りでその瞬間以前に起きたすべての事象が今というものを作り上げているという点だけで現在とつながっているのみと僕は思う。なので起きた出来事に対して何か意味を求めることは無意味で、起きてしまったことを後悔することもナンセンスだし、自分のコントロールの範疇を逸脱したものに関しては、必死に抗ったところで仕方ない。増しては不平不満を嘆くことには一片の価値も生まれない。大事なのは今置かれた状況を受け入れ、そのなかでどう適応しそれらを価値あるものと変えられるか。

それを踏まえると、酔っ払ったせいで後遺症が残った事や仕事が吹っ飛んだ事に悲観しても何も意味がない。むしろ明るい面を見れば、線路に落ちた瞬間に電車が来ていれば完全に御陀仏だったし、軽微な後遺症で済んでいるのは極めて運がいい。コロナで国内で身動きを取れなくなったからこそ出会えたものも沢山ある。

コップ半分の水、「もう半分」とみるか「まだ半分」とみるかみたいな話があるが、やはり後者の方が圧倒的に世界は明るく見えると思う。

そもそも世界なんて不条理だし、社会は理不尽で、日常は不都合だらけだ。インドの経験からちょっと仏教の世界観に傾倒してる感じもしなくもないが実際そう思う。

そんな世界の中で、社会で、日常で、決して抗わず、肩の力を抜き、しかしながら圧倒的希望論者であり続ける、そんな矛盾した楽観的不条理主義のスタンスを貫いて来れたと思う。もちろん感情が昂ったり、バッドに入ったりする事だってある。そんな時にメンタルステートを健全に保つポイントは、沢山日光を浴びる事、時々人に会う事、常に謝意を忘れない事、そして何よりオブザーブ、これらがこの2020を通して学んだ事だ。

peace out 2020!!

だから去り行く2020にも悪態をついて中指を立てるよりも、感謝の意を込めて人差し指と中指を突き上げて叫びたい。

ありがとう、peace out 2020

また2021の抱負なんてのもないが、強いていうなら

今年もあんまり気張りすぎず、だけれども未知のものには貪欲に、そして忝く生きていこう。

そんなわけで、昨年の総括及び新年の挨拶に代えさせていただきます。

皆さんもどうかご自愛を忘れず、良いお年をお過ごしください

テイクイットイージー、ピース



※写真のいけてる婆さんはPhotoAcより入手したフリー素材です。

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