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誰かのために生きるのはもうやめた

これは前回のnoteに書きたかったんだけど、書くと話がとっ散らかりそうだったおまけ的な話である。


私の人生、どれだけ過去を遡れることになっても大学受験より前には戻りたくないなと思う。単純に受験がつらかったからというのもあるんだけど、高校生までの自分の人生って思い返すとなんだかとてもつまらない。別に虐められてたわけでもなく、そこそこ楽しかったんだけど、大学以降今日までのほうがめちゃくちゃ楽しく過ごしている。

ずっとなんでなんだろう?と思っていて、興味のある分野の勉強や仕事ができるようになったからかな、とか、お金を稼げるようになったからかな、とか、思っていたんだけど、さいきんようやく理由がわかった。

学生時代って、自分のためにしか行動できないからつまらないんだ。

勉強も部活も当たり前だけど全部自分のためである。(未成年で親のもとで生活しているんだから当たり前である)だけど私にとっては苦痛で、どうしても自分のためにはなかなかがんばれなかった。大学生になって、アルバイトとかボランティアとかするようになって自分の行動が誰かにつながっていることがうれしくて、毎日が本当に楽しくなったんだということに気づいた。だから、基本的に私は仕事が好きで、今日まで毎日働いているんだと思う。

そんな私は自問自答ファッション教室の数日前に、私はなりたい姿について見つけたと呟いていた。そして教室に行き、それがめちゃくちゃ間違っていたことに気づいたのだ🤣

教室の数日前に見つけたのは、私が手に入れられる毎週5億円のお金を使ってでも会社をきれいにして働きやすくして理想の商品をつくりたい、ということだった。そして私はなんでもやる課でいい、と思っていた。私をレーダーチャートで表すならば、突出した強み弱みもなくバランスがいいタイプだと思っている。だから何か専門性を持って働くよりも、困っている人がいたらその人を助けるような仕事が得意だと思ってる。(実際働いている小さな会社では担当が割り振りにくいような仕事がたくさんあって、それをものすごい勢いで私は拾っている。苦笑)だから、そういう形が私の理想系なのかな?と思い、教室のときにも話した。だけど「世界は平和です。寄付とかしなくて大丈夫です」と言っているあきやさんを見て、たぶん私が考えているのはちょっと違うんだろうな、と思った。誰かのためにお金を使うんじゃなくて自分のためにお金を使うなら?という視点が必要なんだと思う。(そして私はなりたい姿を哲学者にした。)それから、ムーンプランナーさんのパーソナルサービスを受けたときに言われた「どうしてそんなに人の役に立ちたいのでしょう?」と問われたことを思い出した。そのときは「小さいころに伝記のマンガをめちゃくちゃ読んでたからですかね?」となにも思い浮かばずに苦し紛れの回答をしたんだけど、少しずつ何かがつながる感覚がある。教室で教えてもらったハレの日をつくるとそこに向かってがんばる、という話を聞いて、たぶん自分のために生きるということが足りてないんだろうな、ということに気づいた。

私にとっては、自分のために生きるより人のために生きる方が楽である。そしてものすごく得意なことである。相手がなにを考えていて、どうして欲しいのか、だいたいわかる。そして褒められるんだから、良いことだらけだ。(ちなみに私は数秘だとLP5D6人間で、これは私をものすごく表していると思う。)好きで得意なことだから楽しくて楽なのだ。私のロールモデルである王国の雫石も、最近読んでとてもよかった透明な夜の香りの一香も、天才のサポートをする仕事をしていて、私もそういう仕事があったら最高なのにな、と思っていた。だけど、一香が仕事を辞めて「生きるって決めたから」というシーンにものすごく心を打たれた。続編を読んで、朔と離れて暮らす姿に、誰かのために働いていたら自分の人生を生きるのは難しいのかもしれないな、と思い始めていた。(雫石もストーリーが進むにつれ、自分のために生きている)

そんなときに母と腹を割って話す機会があった。そこで母は「家族のためになにかをしてあげることが私の喜びで、自分のためにはがんばれない」とはっきりと言った。そんな母を見て、私はこの人の元で産まれ育ったから、私は誰かのために生きることに喜びを感じる性質になったんだ、と納得した。だけど、客観的にそういう人を見て、それじゃあだめなんだ、ということもはっきりとわかった。

誰かのために行動するということは、その人がいなくなったら自分がだめになってしまうということだ。そして誰かのために行動することは、絶対に心のすみっこに私がしてあげたのに、という気持ちが生まれてしまう。だから自分のために自分が幸せになる行動をする。それは、どんなことが起きても強い。自分は一生自分だから。

私は誰かの心を想像して気を使うことが染み付いていた。いつも自分の最善策ではなく、相手の最善策になる行動をとっていた。恐ろしいことに家族の前でも気を使い、家族たちにとって一番よい状態を行動をしていた。私が実家を出ないのは私が楽だからではなく、私の家族がそれを望んでいるからその通りにしていた。そんなふうに振る舞うことが染み付いているから、自分にとってはなにが幸せなのか、なにが楽しいのか、なにがしたいのか、まったくわからなくなってしまっていた。もちろん相手を気遣い生きることは大切なことである。立場が違えば、自分より大切なものを優先させなくてはいけないこともあるだろう。だけど、自分を一番に考えてあげることが今の私には必要なことなんだ。

そして、たぶんこれはパーソナルサービスでムーンプランナーさんが言っていたことなんだと思う。そのときは言われるがままに楽しいことを見つけてみたけれど、今は自分でそこまでの過程を紐解くことができた。私は今の私のためには少しずつ行動できるようになってきた。だから、ちょっとずつ未来の私のために行動できるようになりたい。

やっとやっとわかってきた。
自分のために生きる、それは私にとってはものすごく難しく、つらいことだ。人のことはわかるのに、なぜか自分のことはまったくわからない。自分のことを褒めるのも苦手だから、褒められるほうに行ってしまう。だけど、それをしないと堂々巡りになってしまう。だから私は私の背中を強く押して、舞台の上に引きずり出すしかない。

自分の人生の主役を張ることに決めても、まだ怖い。だから、私はファッションの力を借りようと思っている。主役を張るための服を見つけたい。一生懸命自問自答して選んだ服を身につけた自分なら、少しは自信を持って舞台に立てると思うから。そのためなら、予算はオーバーしてもいいんじゃない?💸💸💸

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