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世の中には2種類の人間しか存在しない

俺か俺以外か



              終
            制作・著作
            ━━━━━
             ⓃⒽⓀ




ここからが本編

ロー〇ンドが言うことが間違いないかと。極論、『自分かそれ以外』というわけです。

当たり前ですが、自分が考えていることがすべて相手に理解してもらえるはずがありません。正直、半分でも伝われば十分ではないでしょうか

仕事柄、生徒がもめ事を起こしたとき、大体の流れは事実確認、自分の気持ち、相手の気持ちを出させ整理を行っていきます。そして、これからの行動について考えさせます。最後に謝罪等を行い家庭連絡というところでしょうか。

特に小学生や園児のもめ事を整理するのは難しくなってきているのでは、と年々感じています。おそらく小学生以下なら状況説明や感情について言語化できないことも大きな影響があると思います。また自分が経験してきた中学校現場においては同様に言語化できず、事実が伝わらない、整理ができない、言っていることが二転三転することがよくありました。悪く言えばごまかそうとすることも多くあります。

このような対応を時間をかけて整理できたらいいんですが、現場ではその他大勢の児童・生徒がおり、授業もあるということで場合によっては別の方に任せないといけないことが多々あります。だから聞いた内容をメモを取ったり、口頭でも丁寧に伝えようとしていきます。

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事実だけでも伝わらない

大人であればそれなりの知識や経験があるので、児童・生徒らの聞き取った事実を別の大人にしっかりと伝えられると思い込んでいませんか?

これ、本当にできません(笑)

最悪なのは聞いたことをもとに、当事者である児童・生徒と再確認している中で話が違うぞ、となることです。この場合、当事者も時間が経過し、また話す相手が変わったこともあり始めに言った内容にずれが生まれることもあると思います。

客観的事実を伝えていくだけでも、それがどんな大人であっても、介する人や関わる人が増えるほど事実から遠のいていくのは何となく理解してもらえそうです。さらに、そこに感情や個人の考えが含まれていくと伝える難易度はさらに高くなることでしょう。

自分の考えを相手に理解してもらう

まず、無理。

と言ってしまえば元も子もないのですが、課題として

① 自分の伝えたいことを言語化できているか

② 言葉に含ませている感情や思いを汲み取ってもらおうとしていないか

③ 相手の背景(育った環境、趣向、年齢、文化などなど)を理解しているか

これらを配慮することが必要でしょう。

こう考えると無理、と思うのが普通で、どこか落としどころを作るのが社会生活を営む上で必要なスキルだと思います。自分は大体半分ぐらい理解してくれれば、、、本当に大事なことだけ、、、というスタンスでやっているので情緒は安定していますw

ところが相手に過度な期待感を持って接する人は「なんでわかってくれない」と感情的になってしまうこともあるので注意です。

相手の考えを理解する

これも同じく無理。

伝えることと同様に

① 相手が考えていることを言語化するコミュニケーションをとる

② その言語化された言葉を限りなく近い形で共有すること

③ 自分の背景も理解してもらうこと

この辺りは結婚すると実感することも多くあると思います。

無理ゲー『伝言ゲーム』

今回、一番言いたかったことです。

現在の仕事を平たく言うと伝言ゲームをしています。

ある内容が上から下りてくる、それを課内で共有し、別の部署を経て現場に届ける、という内容です。

問題は上から下りてくる通知文なんですが、難解な言葉やめんどくさい言い回しがあり、一度読んだだけではわからないことが多くあります。なぜこのような言い回しを使っているのかというと、共有された言語で限定的に言葉を使用しているからでしょう。つまり、別の解釈ができる余地を省こうとする意志が見えているわけです。それでも自分かそれ以外か、読む人が増えるほど、伝える人が増えるほどたくさんの解釈が生まれてきます。100%考えを共有できるのは難しい・・・。

課内で一応共有したものを通知文として次へ次へ回して現場へ・・・と。

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実際にあったことですが、そこまで難解な文ではなく、しっかりと読めばわかるようには作ったのですが、現場から何度も質問があり、対応に困ったことがありました。

簡単に言うとあるシステムの入力について、この場合はどこに入れるべきなのか、という質問でした。そんなことぐらいもわかんねーのかよwというかそんなわからないように書いていたのかwと声が聞こえてきそうですが・・・

こちらでそのシステムを管理していて、現場で入力されたものが閲覧できるんです。チェックしているとありえないところに入力されているので、それぞれに確認の連絡を入れると質問にあった、という経緯です。

「もしもし、ゆとりですが・・・以前入力の仕方について連絡させていただいたんですけど・・・あ、はい、ええ・・そうです、そちらの入力が間違っているのではないのかな、と・・はい、それで連絡をさせていただきました・・・」

「え、けどこれってこうじゃないの?ていうかこれ、よくわからなかったからとりあえず入れさせてもらいました。」

「いや、読んだけどこれはここに入力するものだと思う。」

「こっちではこのようなものとして理解しているから。」

① まずそもそも読んでいないw

② 勝手に解釈しているw

③ 自分たちが運用しやすいように捻じ曲げるw

④ しっかり伝えていない、伝わらないw

聞いていると伝言途中で別の解釈が加わり、現場に届くころには違った内容になっていることも・・・。

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結局、自分か自分以外

今回のタイトルは「世の中2種類の人間しか存在しない」でした。

冒頭でも述べたように俺か俺以外か、自分か自分以外か、です。

自分の考えや意思が他者に共有されるのが難しさはわかっていただけたかと思います。これが悪いことかといえば、案外そうでもないわけです。

自分の考えがすべて理解されたら面白くもないだろうし、新たな発見も生まれてこないでしょう。経験則ですが、人って物事がすべて合理的にうまくいくよりも多少困難や不合理があって進めていく方が面白みがあるのでは、と30数年の人生で実感してきました。

ある本の一部に書かれていたことを思い出しました。(適当に要旨だけ)

父「いやあ、俺学者だけどちゃんと人間を評価できるテスト作れなくてすまん。一部の評価項目だけで人間の良し悪し決めていて。」

息子「いやいやwそんなん人の良し悪しを完璧にテストで決められたらこの先どうやって生きていけとw絶望しかないwむしろそんなんで俺の何がわかるの?と可能性がまだあるだろ、と生きていける方が幸せ

世の中2種類の人間しかいない、それは自分とそれ以外。

相手に理解されないことも相手を理解できないことも理解して、楽しく生きていけたらと思う土曜日の昼下がり。(これから家族と公園に行こう。)

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