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人をそんなに変えたいのか

2020年。数字の並びを見ると2002年に似ている。共通しているのは大きなイベント、2002年はワールドカップ、2020年は東京オリンピック。そういった意味で閉塞感があった中に世界的なイベントが日本に!と期待をしていた年だったと思う。

ところが12/31(木)現在、オリンピックが開催されるどころか様々な行動に制限がかかり、これまでの生活様式を改めざるを得なかった。4月から6月まで緊急事態宣言で今まで見たことのないような世界を目の当たりにした。2月や3月にオリンピックを開催できるのか、と議論をしていたことが嘘のような。働き方でも在宅勤務、リモートワーク。人とのコミュニケーションもzoomやLINEを活用してオンライン飲み会なるものを活用した。緊急事態宣言が明けても、人との食事や会話などは憚られる。気づけば友人と食事をしたのは3回ほどか。お互い気にしつつ食事をする、店側も感染予防には徹底した対応していた。世間でいろいろと議論されているが、おそらく以前の生活は戻ってこないのだろうな、と個人的には思う。

2020年はどんな年だったのか、個人的には人の本質が可視化された年だったと感じさせられた。きっかけは当然コロナウイルス感染症。これまでも白黒はっきりさせようとする動きが多かったが、特に今年はグレーという部分で落としどころ、折り合いをつけていたことに、それぞれの立場で正義を振りかざしてきたと、この一年は強く感じた。強調したいのは、それぞれの立場で、相手や外的要因を相容れない一面的な見方が多かったこと。

「誹謗中傷」。これまでもSNS等でも散見されていたが今年は世間の目に触れる機会が多かったと思う。痛ましい事件をはじめ、芸能人に関わる問題でも、これでもか!というぐらいの誹謗中傷があった。SNSなんかでは、特にTwitterでは、誹謗中傷を行ったであろうアカウントに対して、新たな誹謗中傷が始まっていた。誹謗中傷したあなたが悪いと攻撃が。

世間的にも誹謗中傷はよくない、痛ましい事件も起こっている、と認識してたのであろうが、芸能人の事件が起これば何も変わらない誹謗中傷がはじまっている・・・。不倫だの浮気だのそういったものは当事者であれば(不倫、浮気をされた相手、またはその関係にあたる人)理解できる。だが当事者でもない第三者が匿名でたたく行為等、正直目に入る、耳に情報が入るのにしんどくなり、一時期SNS等を断った。

そういえば、コロナウイルス感染が流行りだす前、自分の出身県で初めて感染が確認されたニュースが報じられた。こちらに関しても誹謗中傷、家の方にも張り紙等で誹謗中傷があったと聞いた。地元の友人と先日話をする機会があり、初めて感染が確認された家庭についての話題になった。まもなく引っ越しを強いられたそうだ。

これらの事例に共通して言えるのは、誰もが誹謗中傷するのはいけないことがわかっている。でも結果的に誹謗中傷になっている現実。おそらく誰も誹謗中傷している自覚がないのだろうと思う。全部が全部というわけではないが、注意しているだけの感覚の人も多いだろう。

少し声が大きい人になってくると、それぞれの立場で批判的な意見をぶつけてくる。以前、言ったことのほとんどは伝わらない、伝言ゲームの難しさを投稿したが、お互い顔を合わせても話が伝わらないのにSNS等の限られた文字数、文面のみだと話にならない。大概のTwitterのリプ欄は、論点がずれて言っている、第三者がクソリプ投下でカオスになる地獄。

話がずれたが、要は自分の中にある「正義」「正しさ」をもとに話が始まるから相手が許せなくなるのだろう。「自分が正しい」、これが争いの元なのだろう。

コロナは怖い病気だと伝える方々や医療従事者であろう方の逼迫した状況を伝える投稿に何万ものいいねやリツイートされている。そこのリプ欄では、飲食業や観光業を非難する投稿が多くみられた。一方で、多くの飲食業や観光業が現場の悲痛さを伝える投稿があると経済を回さないと路頭に迷うなどとリプ欄がいっぱいになる。

どちらの意見も理解できる。どちらの立場も理解できる。だからこそ折り合いをつけるのが大事なのではと思う。極論で話を進めていくと解決策どころか相手の意見を非難しあうだけにしかならない。

気を付けたいのは極論で意見を通そうとしてくる人は、ネットの世界ではなく現実世界に多くいること。だから我々はどのように実行するのか。それは落としどころ、折り合いをつける、最適解を見つけるが適当な言葉であろうと思う。教員をやっているので管理職からどうしようもない課題に直面したら「子どものためを思えば」や「子どもの命」の言葉を突き付けられたら、何も言えねえ・・・、となったことも。立場と極論で突き付けられたらもう立ち向かえない。

だからこそ現場を離れた2020年。異動した先でも同じようなことはあるが。

今年は人の醜い部分が可視化された。気づいてはいたけど向き合ってこなかった部分。環境を自分で整える(ミュートや関わる人との距離感)、自分の考え方を改める(今年は特に人への期待を全くしなくなった)ことでずいぶん楽しめた一年であった。反面、リアルで出会う人とのコミュニケーション、体験活動等が非常に重要なものだった実感した一年でもあった。

今回書いたnoteは非常にネガティブな内容だったと思う。でも自分自身は非常にポジティブに2020年を捉えている。自分自身に気づけたこと、他人に対し気づけたことなど。

今日で2020年が終わる。来年もよろしく。

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