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YUTOの雑記帳

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YUTOが書いた雑記について紹介しています。
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記事一覧

海のまち「呼子」に行った話

これは2016年1月3日の話になります。 私の祖父が2015年7月に亡くなり、神社参りが出来なかったので、その代わりに呼子へ家族と一緒に行きました。 呼子に行った理由は、splatoonと佐賀県がコラボしたsagakeenが呼子でありましたので、行ってみようと思ったからです。 呼子の位置はここにあります。 ここへは佐賀市から2時間かけて呼子へ行きました。 佐賀市と呼子は同じ佐賀とは言えない雰囲気があります。 呼子に着いたら、子どもたちが多かったです。 (テーマパー

任天堂“驚き”を生む方程式 を読んでみて

内容紹介任天堂だけが持つ独自の哲学とは。その源流とは―。娯楽に徹せよ。独創的であれ。なぜ世界中が夢中になるのか?快進撃の秘密を解き明かす。 感想この本は、なぜニンテンドーDSやWiiは成功したのかを分析した本です。 ニンテンドーDSが出る以前は、プレイステーション2が一番売れていましたが、岩田社長(当時)は、これはゲーム機ではなく、DVDプレーヤーとして売れているものと分析をしたところから、どのようなゲームを作ればいいのかを考えたそうです。 そこで、岩田社長や宮本茂らは

【読書感想文】ナカモトサトシになりたくて を読んでみて

Kindleで出ている本「ナカモトサトシになりたくて」を読んでみての感想を書きます。 全体的にかわいらしい文の書き方をしていて、絵や写真がチャーミングで、メロメロになりそうな感じでした。(あたかも、少女マンガの世界みたい・・・) 個人的に一番印象に残ったのは、第2部と第4部でした。 ここは、トークンエコノミーの世界を作者らしくわかりやすく説明したものだと思います。 本を読むことがマイニングであり、お金が手に入る世界を描いています。そのマイニング方法をPoRである世界を

【読書感想文】これから稼ごう:仮想通貨と未来のお金(堀江貴文 著)を読んでみて

私が仮想通貨を始めたのは、2017年11月にリサーチパネルのポイントをビットコインに換金したのが始めたのがきっかけでした。 アンケートでお金を稼いで、そのお金の換金先にビットコインがあるということから、アンケートで貯めた500円ならちょっとお試しにでもいいかと思ってビットフライヤー を登録し、その時にアルトコインの存在に気づきました。 またこのころはビットコインを持って間もない頃でしたので、直前の値動きがわからず、その頃はバブルが起きているとは思いませんでした。 そのバブル

ファミコン風ロックマン7とロックマン8について

ロックマン7は1995年にスーパーファミコンでリリースされ、ロックマン8は1996年にプレイステーションでリリースされました。 この2つの作品はファミコンの作品ではありませんが、一部のファンが、ファミコン風にリメイクしたゲームがあり、パソコンでプレイできます!! ロックマン7(8bit風)オリジナルをほぼファミコン風に再現しています。ただ、オープニングステージはありません。けど、BGMや敵キャラをファミコン風に再現できているのには驚きです!! このゲームはフリーになってい

2018年と2019年における私のnemの想いで

プロローグ 私がNEMのことを知ったのは、コインチェックから流失した所から始まりました!!  それまで、暗号資産やビットコインはそれまでに何度か聞いたことがありましたし、リサーチパネルというアンケートサイトのポイントをPeXに持ってきて、それをビットフライヤーを通じてビットコインを少し習得したものでした。 そこから、暗号資産を調べていく中で、イーサリアムやモナコインの事を知り、アルトコインで一番最初に投資したのはモナコインでした。  ある日、ニュースで暗号資産が流出したという

コミュニティクイズでLedger nano Sを貰った件

2021年3月4日〜18日まで開催されたコミュニティクイズでは、夜7時と11時になったら問題が出題され、一番早く正解した人にはLedger nano S Symbol Editionがプレゼントされる企画が実施されました。 このクイズに正解するには、早く答えなければならず、プレッシャーが高いゲームであり、ある程度予習が必要でした。 検索をかけた時点で負けであり、検索をかけたら破れかぶれで答えました。 けど、そのプレッシャーを感じるのが面白く、一番早く正解した時は、開放感に溢

佐賀城内にある銅像

佐賀城内や佐賀県立博物館には、たくさんの銅像が置かれています。 それについて、紹介をします。 古賀忠雄さんの作品集これらの銅像作品の一覧は、こちらのHPで見られます!! 鍋島直正公の息子が注射をしている場面佐賀県立病院好生館が移転した後の跡地には、看護学校と佐賀メディカルセンタービルが造られています。 以下の銅像は移転する前からあり、銅像だけがここに残りました。 この像で,左側に立っているのが,鍋島直正公で, その息子の淳一郎に種痘を行っているのが侍医の大石良英です。ま

中央通りの佐賀の偉人達の銅像

佐賀駅から降りて南の道には、県庁まで繋がる道(中央通り)があります。 その中央通りには、佐賀の偉人の銅像があります。 その銅像を紹介します。 No,1 名君・鍋島直正と直正を支えた賢人たち鍋島直正 佐賀藩10代藩主。1830(天保元)年、若くして家督を継ぎ、藩政改革を推進する。佐賀藩は長崎の警護を任されていた関係で、早くから西洋諸国の科学・軍事力の高さを知り、外国からの圧力への警戒を強める。それに対抗するためには西洋の科学技術の導入が必要と認識し、藩全体で軍事、科学の研