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”自由に生きる”は甘えじゃないよね・・・?


お読みいただきありがとうございます。

前回は、「自由」についての話をしました。

前回のnote↓

ここ数年、SNSの普及に伴い「自分の好きなことをして生きる」みたいな

風潮が強まりましたよね。

ただ、こうした考えって、時には、あるいは世代によっては、

「ラクしたいだけでしょ」「綺麗事をいうな」みたいな批判を

されることがあったと思うんです。

でも、自分のしたいことをするって、

果たして本当に”甘え”なんでしょうか?


僕の結論から言えば、「甘えではない」です。

むしろ、みずからすすんで

苦しい道を選ぶ行為だと思ってます。

詳しく話しますね。


そもそもの話なんですが、

好きなことをする=ラクをしたい、という

発想になること自体、危険なことだと思うんです。

だって、この式が成り立ってしまったら、

やりたくないことをやり続けることが正義になるわけで、

非常につまらない生き方を肯定することになりますよね。

もっというと、好きなことをするということの

大変さを無視した考えなんです。




「好きなことをし続ける」って、

冷静に考えたらすごくないですか?

気の遠くなるような努力を続け、

さらには結果を出し続けている人にしか

与えられない称号ですよ、それって。



やりたくないことを仕事にしている人が

大半を占めると言われるこの国ですが、

そのなかで自分がしたいことを

し続けられている人たちって、

むちゃくちゃすごくないですか?

(まぁ、仕事は仕事と割り切って、他でやりたいことをしているなら、また観点が変わってきますが・・・)


つまりですよ。好きなことをして生きるって、

なんにもラクじゃないわけです。

人によるかもしれませんが、

ほとんどの人にとっては

ラクなことじゃないはずです。

もしラクだと思っているなら、その人はまだ

自分のやりたいことに本気で取り組んだことが

ないのかもしれません。


僕も、自分が本当にやりたいことをやるために

もがいている最中です。正直、お先は真っ暗です。

毎日、劣等感や無力感が渦巻いて、絶望してます。


でも、それでもやりたいことがあるわけで、

そうなったら頑張り続けるしかありません。

ただの一般ピーポーには、

ミラクルのおこる抜け道なんて

用意されてないから、

自分の手で掴む以外ないんですよね。

でもこのもがいてる時間すら、楽しいんです。



次回は、”継続”について話しますね。

同じ継続でも、タイプがあるんです。

僕が思う継続について、考えてみます。


さて、まだまだ3記事目の僕には、

2000文字とかの長文を書く権利はないので

このへんで終わります(笑)。

ありがとうございました!

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