約4ヶ月前の2月28日、30歳の誕生日に自身のセクシャリティをカミングアウトするという体験をしました。
「みんなからどんな反応があるかわからない」という不安から、とりあえずInstagramのみに投稿をしたのですが、自身の友人知人に留まらず多くの方からポジティブな反応をいただき、この体験は想像以上のとても素晴らしいものになりました。
知らない方も多いかもしれないですが、6月は「プライド月間」。
カミングアウトした身として、まずはInstagramに投稿した内容をnoteに掲載しようと思いました。
以下そのまま掲載しますので、お暇なときに読んでいただけたら嬉しいです。
<Instagram画像内の文章>
<Instagramのキャプション>
この投稿には100件ほどのコメントの他、DMやLINEで多くの連絡をいただきました。コメントや連絡をいただけたこと自体とても嬉しかったのですが、ラグビーの現日本代表の中村亮土さんはじめ多くのアスリートがコメントやいいねをしてくれたこと、そして同性の友人知人からのコメントが多かったことは本当に嬉しく、救われる気持ちでした(今コメントを読み返しても気を抜くと泣きそうになるなど)。
そしてこのカミングアウトから約4ヶ月が経ち、これまでの友人や初めましての方、いろいろな人に会い、話しました。
同性のアスリートの友人(ストレートでいわゆる"ゲイ受け"をするタイプ)からは、SNSのDMや銭湯でのモラルのない当事者の行動の話を聞いたりもしました。それもかなりドン引きな内容。
でも、「ゲイのことを昔は嫌いだったけど大人になった今はそう思わない」と言ってくれたことや、「結婚したいとかは思わないの?」と質問してくれたこと、僕自身の経験談を楽しそうに聞いてくれたことがとても嬉しかった。
カミングアウトする前はストレート男性同士が日常的にする恋愛や結婚などの会話に本心で参加できない葛藤があったし、いつかそういう話をセクシャリティ関係なくできる日が来ることを願っていたから。
男性パートナー同士で海外で子育てをしている方や、FTM(Female to Maleの意)のトランスジェンダーの方との出会いは自身の考えや世界の見え方の幅を広げてくれました。
仲のいいラグビー選手のファンの方は「あの投稿の馬場さんですよね?」と、ラグビーの試合やイベントの会場で声をかけてくれるようになりました。
10個ほど年齢が下の後輩と飲んでいるときには、セクシャリティの違いに対する考え方が僕たちのそれよりも遥かに寛容なんだと驚かされたり…。
カミングアウトをしなかったら知らないままだった友人の考え方や世界がたくさん現れました。「過去の自分は友人の考え方や世界の在り方をこんなにも知らなかったのか、もっと話せることがたくさんあったんだ」と、「もっと信じてよかったんだ」と気付かされる日々です。
<カミングアウトをしてから気づいたことや感じていること>
そしてカミングアウトをしたことで、徐々に忘れ、失っていくものが一つできました。それは「カミングアウトをする前の自分の気持ちや葛藤」です。
今、悩んでいる人の多くはカミングアウトをする前の自分と近い状態か、それ以上に悩んでいるはずです。その気持ちに寄り添いたいと思いつつも、カミングアウトとトレードオフのような形で、時間が経てば経つほど昔の自分の記憶が断片的になっていく状態になりました。なぜなら、カミングアウトをする前の悩みはもう感じられないから。
カミングアウトをする前、「カミングアウトをした方が楽だよ」という意見も聞きました。でもそれって、「カミングアウトをした結果、それが丸になった人だから言えることじゃない?」と思っていました。
カミングアウトをすることで楽になるかどうかなんて状況によって人それぞれ。
「親に勘当されるかもしれない」
「大事な友達が離れていくかもしれない」
僕もそんな不安を抱えていました。
例えばそんな不安が現実になったときに、「その程度の人だったんだよ」というアドバイスを外野からするのはある意味簡単です。でも、言う側がそう思えても当事者がそう思えるかどうかは相手がどれだけ大切な人だったかに依存するのだから、まったくの別物です。
悩んでいる人に対して「カミングアウトをした方が楽になれるよ」なんていろんなステップをすっ飛ばしたアドバイスをしない人間でいられるためにどうすればいいのかを考え、昔の自分の悩みや違和感を大切なものとしてできるだけ長く抱えていきたいと感じています。
もうひとつ自分が感じていること。
それはセクシャリティに対する言葉の違和感です。
今は「LGBTQ+」という言葉以外に、たくさんのセクシャリティを表す言葉があります。それそのものはとても素晴らしいことです。
でも、言葉があるからといって他者が誰かをラベリングする風潮は違うなと。曖昧でもいいと思うんです。
僕は「自分がゲイだ」とカミングアウトをしましたが、セクシャリティを表す言葉は「自分が何者なのかを知ることで安心を感じたり、自信が持てる人のためにある」と個人的に思っています。
(この違和感を的確に表してくれている編集者の今野さんのツイートがこちら。是非読んでみてください)
そして、「曖昧」という状態も一つのアイデンティティだし、その答えを人生の中で出し切る必要はないのではないでしょうか。
例えば、「自分はストレートだ」と思っているからといって、「ストレートのままで生きていかなきゃいけないのか?」と問われたら「No」だと僕は思います。「バイセクシャルで異性のことも選べるから結婚を目指した方がいいのか」と問われたらそれも「No」。
どんな出会いや別れがあるかわからない人生の中で、一生剥がせないラベリングをする必要はないし、自身の内面の変化だってきっとあります。
そして自身のセクシャリティが曖昧なときこそたくさん悩むし、曖昧だからこそ表現も難しい。理解してくれる人の数も少ないから言いにくくなります。そう思うから、セクシャリティが曖昧であることに対して自分はリスペクトを持って生きていきたい。悩んだ末にどんな選択をしても、その過程で葛藤を経ないものってきっとないはずだから、人それぞれの生き方をを尊重できる人間でありたいと感じています。
なんだか取り止めのない内容になっている気もしますが、どうにか主張したいことが伝わってくれると嬉しいです…。
とりあえず今悩んでいる人に伝えたいことは
いつか悩んでいる方にこのnoteが届く日が来るならば、それがこの記事を書いてからたとえ何年後でも、僕はいつでも話を聞くよということ。
そして、そのときのために今よりもっと寛容で、いろんな在り方を受け止められる器を作っていきたい。たくさんのことを理解できるように、毎日少しでも考えていきたい。
ということです。
Instagramのカミングアウトの文章だけでも4,000文字になってしまい長くて申し訳なく思っていたのに、このnoteは7,000字越え…。
ヘテロセクシャル(=ストレート)含むすべての人が、しがらみなく生きていける未来がくることを願って、何かテーマが思いついたときにはまたSNSでちょこちょこ発信していこうかなと思っています。
とにもかくにも、こんな長い文章を読んでいただいた皆さん、ありがとうございました!
初めて読んだよという方は改めてよろしくお願いします!
👋