見出し画像

同じはない #33

最近、人と会話をするときに注意しているのが、この人はいったいどんな人なんだろうか、と熟考しながら、言葉を選んでいるという点です。

そもそも前提として、人間という生き物に好奇心がある。

同じ人種なのにもかかわらず、生まれた環境や触れた価値観や経験で、こんなにも大きく変わるものなのか、というのが人間の不思議。

でもって、自分のことを堂々と語り、情熱をもって何かに打ち込む人もいれば、自己開示すらままならない、人と関わることを嫌う人もいる。

人に至っては、数学の合同な図形のような存在はいないのである。

その人と人とが認識、あるいは化学反応と同じコミュニケーション。これをスキルとして磨けば怖いものはない。コミュ筋、鍛えねば。

コミュニケーションとは、広さと深さがグラデーションのように変わるイメージである。

初対面の人とは、もちろん広さも深さもないわけだから、相手のことを質問し、そして自己開示を通して、相手に知ってもらうやりとりから始まる。

そう自己開示がポイントなのである。

ここで、ためになる話、笑える話、感動する話を披露できる人は一流のコミュニケーションをとっている人なのだろう。それだけ、引き出しをストックして会って、鉄板自己開示トークをもっているからである。

私はやや、自己開示では自己主張が強めである。
それで、相手に不快な思いをさせてしまったことも山ほどある。変なタイミングで笑顔をつくったり、心が上っ面なのである。

どんな時も真心。つまり、気持ちと思考が常に穏やかで、回転し、キレのあるトークをもってキャッチボールをすることが大事。

そのために、身体を動かすことや、サウナで心身を調えること、質の高い情報をインプットして、こうして思考を言語化してアウトプットすることは欠かせない。

こうした日々の過ごした方すべてにおいて、発する言葉が変化を起こす。
やはり日々勉強することだ。そして、勉強すると自分のレベルが上がるから面白いのだ。

そして、私の課題は具体的に物事を考える精度を高めること。
その考えることが結果として、言葉に変わり、コミュニケーションにも生きる。

考えるときは、もぐらたたきのようなイメージがある。
1つのことを決めれば、それに付随して、別のモグラが出てくる。
そうすると、最初にたたいたモグラの場所を変えればよかったのか、と思えば、そもそも、このタイミングでモグラをたたかない方がよかったのではないか、と、いろいろと考えてしまう。

クリティカルに、パラレルに、ラテラルに、そして、伝えるためにはロジカルに考えて物事を遂行していく。
この考える深さと広さが、どうやらコミュニケーションと比例しているようにも思える。だから、考えることをあきらめてしまっては、人間は成長が見られないのだ。

とまぁ、いろいろと書きたいことはあるは今日はこの辺で。
殴り書きだと、やはり主題とねじれてしまうなぁ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?