広く、深く、細かく #35

自分の考え方に足りない部分はなんなんだろうか?

と、最近よく考えていたのですが、それが分かってきました。

私は、物事を俯瞰的に抽象的に捉えるのは得意ですが、

深く、細かく捉えることが苦手だということ。

この思考の癖は、思い起こせば、物心がついた小学生の頃までさかのぼります。

①とあるRPGテレビゲームをしていた際、すぐに兄に答えを聞いてしまい、まるで自分が理解したかのようにふるまう。

②算数の応用問題で解けなくなって、答えをすぐに観て解けた気になってしまう。(数学でも同様の経験あり)

③高校の探究学習の授業で、テーマのについての詳しく調べることをめんどくさがり、友達に一任してしまう。

これらに共通するのは、
考えることを浅くして、自分を取り繕っている点です。

変に弱さや、かっこ悪さを見せることを昔から極端に嫌っていた人間でした。プライドが高いことも起因する。

でも、その裏を返せば、
語学学習のように、繰り返しをする中で成果を上げることは得意。
与えられた仕事や任務は責任をもってやり遂げる。
好奇心が常にあり、それが死んだことはない。

自分に甘い判定を出しているのか、と問われたらイエスと言ってしまいそう。
でも、別に、それが自分、今までから現在の自分であって、
そんな自分でもここまでそれを認めることができたのは、俺ってすごくないか、と内心拍手喝さいなのです。
いや、本当に俺ってすごい人間です。

だから、30歳になるこの年。
もっといろんなことに挑戦して考えて、自分のレベルをますます挙げて生きたくなったと思う、今日のこの頃。

深く、細かく。

この2点は今の私にとって最大課題である。

そして、待つことも大切。
待つ。ねー。自分自身が待つことを覚えないと、人には言えない。

待つ。待つ。待つ。
その待つの裏には、俺にはできるという自尊心。相手を信ずる心。
そして、待つことによって、きっと実が熟されていくという覚悟。

なんだ、俺はやはりかっこよく生きたいのだ。

自分にも、誰にも縛られずに、
ただただ、自分の命をまっすぐに使い果たしていく。
もう自分自身に後悔も、嫌いにもなりたくない。
それは、自分が自分であるために。自分という人間が素晴らしい人間だ、と今よりももっと声たかだかに言い切るために。その先に、愛と光になって誰かの神様になって死にたいのだ。

それが僕の生き様だからだ。

さて、明日も命を使い果てして仕事と趣味に没頭しよう。

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