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明日からいよいよ #23

明日から、新年度の授業がいよいよ始まる。
私としてはやる気が十分にあり、何よりこれまでと違った授業方法を実践するのが楽しみで仕方がないのである。

しかし、子供たちは新しい生活にはいってからまだ間もない。4月はぼちぼち。子供も大人も疲弊しないように、ゆっくりとスタートアップしていく予定である。

今日は、そんな授業の構想についてまとめてみようと思います。

画一的な一斉授業からの脱却

私たちが学校で受けてきた授業の代名詞は一斉授業というものであり、教師が生徒に対して課題や情報を与えたものから、生徒は考えていくというスタイルである。

この授業は、多数の集団において、均一的な能力をもつ人材を育てるのには有効な手段であるし、一斉授業によって生まれるリアルな場の空気感や劇場感はどこにも再現できない、思い出にもなる。

しかし、これから激動なのか地獄なのか、未来の日本社会を生き残るためには、目標達成に向けて自ら考え、決断し、行動し、試行錯誤するという能力を備えた強みのある人材が重宝される。現に、job型雇用と言われる企業では人間性を重視した採用が行わているのも事実である。

私は授業において、人生を考えてもらう手段と思ってるので、社会と授業を繋げることは必須だと考えている。

現状の理解、そして達成のためには?

理科は教科やそれぞれの科目の特性上、単元というものが存在する。化学で言えば、理論、無機、有機とったところです。

これまで生きてきた中で、意識することはなかったが化学にふれて生活していることはたくさんある。例えば、石鹸を使った手洗いなどは、そもそも石鹸が脂肪酸のナトリウム塩であることや、水を加えると弱アルカリ性になるという性質があるが、これは学ばないと知らなかったこともしれない。

無意識にできない、意識してできない、意識してできる、無意識にできるという学習の4段階があるが、まずは化学に対する現状の理解を把握することから物語は始まる。

そして、その学びを通して(現時点で)どんな達成像を描くのか仮説や予想を立てることが、自分が学ぶためのマッピングロードとなるわけである。

単元テストで理解を把握し、実験で検証

知識をインプット出来たら、テストや実験を通してアウトプットすることで確かな学力、知力が成就される。

自分で学び方を選んだあとは、単元の終わりを境目に学力的な知識がついているかどうかテストを行う。そうすることで、今までの自分の取り組みを振り返ることができ、改善するための指標にもなる。

そして、サイエンスと言ったら実験である。
恐れずいうならば、教科書に書いてある実験はもはや検証するための実験としては不要であると思う。
そこには、収束される答えが記されてあるからであり、これは本来の科学とは逆方向を向いている。

別に教科書にまつわる実験でなくとも、自分でその単元と社会や身近に関わる現象を検証すればよいだけであって画一的な実験には意味をもたない。

あくまで、生徒個人がそれぞれの疑問や好奇心を最大限引き出しながら検証できる授業を模索していきたいのである。

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