「キレイ」と「キタナイ」の境界線

近頃バイトテロ動画が炎上していますね。。
動画を見ていて唐突にキレイとかキタナイってなんだろう?と思い、この記事を書いてみます。

「衛生」について

まずは真面目に言葉の定義について考えていきます。キレイは「衛生」、キタナイは「不衛生」と言い換えるのが適切でしょう。

衛生は「生(いのち)を衛る(まもる)」と書きます。だから衛生な状態が保たれていれば健康で元気でいられるし、不衛生だと健康でいられなくなってしまいます。

幸運にも人間は「衛生」という言葉、概念を持ち合わせていますが、実際にはこの世界のあらゆる生物が「いのちをまもり」ながら生きているので、別に人間だけが特別ってわけではないです。言い換えれば、人間以外の生物も彼らにとっての衛生環境を保っていて、もしそれが不衛生になってしまうと病気になったりして死んでしまうはずです。「衛生」≒「健康」とも言えます。

では「いのちをまもる」ために生き物はどうするかというと、健康であり続ける活動エネルギーを得るために「食べる」のです。
つまり「衛生」のためには「食べ物」が必要なのです。

食べ物は「キレイ」なのか

いや、食べ物は別に「キレイ」とは関係ないでしょって思うかもしれないけど、例の炎上動画の、一回ゴミ箱を経由した魚の切り身や、床に擦り付けた唐揚げがキタナイとするならば、キタナクなる前にはキレイな状態でいないとおかしいのです。

冷静に考えると、食べ物のほとんどは元々生きていた物、死体な訳です。
単純に死体と考えると「キレイ」という感情とは結びつかず、むしろ「キタナイ」に近いネガティブな感情に近いはずなのに、その死体を一旦食べ物と認識してしまうと、ポジティブな感情に逆転してしまうのです。

そう考えると、キレイとキタナイの判断基準には「食べられる」or「食べられない」の違いがあるのではないででょうか。

では、その「可食」or「不可食」の判断をどのように下しているかというと、
①普段から食べ慣れている食べ物かどうか
②異物/異常はないか

の2つの視覚的な情報がポイントと思います。

①について
「うーん...これはスシ!」とか「これは唐揚げ!」とかを見た目で判断します。普段から食べ慣れているものはこの基準をクリアできます。「これはカエル!」となった場合、普通の人はカエルを食べ慣れていないので、食べられないと思うはずです。ただし、この判断基準には食文化や食経験が影響してきて、国地域あるいは人によっては、カエルも食べ物と思う場合もあります。

②について
①の基準をクリアした後に、ゴミ,虫,腐敗,変色など、イレギュラーな要素がないかチェックします、異常が多ければ多いほどキタナイになります。
異常がなければ晴れて合格となり、「キレイ」な食べ物と認められます。

「キタナイ」は危険性のパラメータ

現代社会では、捨てるほど食べ物が溢れているので、だいたい目にする食品は「キレイ」なはずで、「キタナイ」を食べる機会はそうないと思います。ぱっと思いつく限りでは、床に落ちた食べ物を3秒ルールとか言って口に運ぶくらいですかね。
3秒でも床に落ちた食べ物は「キタナイ」が増加しているはずなのですが、3秒くらいだし見た目は汚れてないしまあ良いかと思って食べるのです。これくらいでお腹壊すことは無いだろうと思って。実際それでお腹を壊した人は見たことありません。

でも今ほど食べ物が十分なかった時代の人たちは、そうはいかないでしょう。例えば死ぬほどお腹が空いている人がいたとして、地面に落とした砂だらけの握り飯が目の前にあったときに、それをそのまま諦めるかというと、そうでもないと思います。
流石に砂だらけのまま食べるのは気が引けそうですが、洗えば良いんじゃないかとか、表面の汚れた米粒を取り除けばいいんじゃないかとかその人はいろいろ考えるわけです。

それこそが「キタナイ」の概念の存在価値というか、人間がうまく生き残ってこられた理由に通じていると思うのです。

別に人間に限った話ではないですが、生き物が生きていく上で、何でもかんでも無闇矢鱈に食べていたら、そのうち毒を食べるか病気にかかるかで死ぬので、そうならないように自分が食べられる安全な物を選んで食べます。時には食べ物の選択肢が少ない場合もあるので、そういうときには「キタナイ」センサーが働いて、少しでも死へのリスクが小さい物を選びます。

「キタナイ」を予測する

例えば野菜の切り屑みたいな生ゴミは、出来たてで新鮮な頃はほぼ「キレイ」に近いはずなんですが、悲しいことに「キタナイ」として認定をされてしまうのです。その理由は、生ゴミは放って置くと腐ったりハエが湧いたりして将来的に不衛生の原因になることが予測できるからです。

だから、現在「キタナイ」ではなくても、将来的に「キタナイ」に変わる可能性があるものは「キタナイ」のです。疑わしきは罰せよの世界です。そうしないと「キタナイ」の毒で自分が死んでしまうかもしれないので、そう感じるように我々はインプットされているのです。

「キレイ」=「美味しい」

食品に対する人間の感情は、「キレイ」「キタナイ」ではなくて「美味しい」とか「不味い」という表現のほうがしっくりくると思います。とはいえ最低限生きていくためには栄養源さえ摂取できれば良いので、厳密には味は関係ないはずです。ではどうして「味覚」が発達してきたかというと、おそらく栄養源のあるものを美味しいと感じるように進化してきたのではないかと私は考えます。逆に毒は不味いと感じるようになっていなければ、毒を食べてぽっくり死んでしまうはずなので、そういう生き方だとすぐ自然淘汰されてしまうわけです。

だから「キレイ」と「美味しい」、或いは「キタナイ」と「不味い」はそれぞれリンクしていて、「キレイ」は「美味しい」の必要条件といえます。

まとめ

キレイ=食べられる物(安全)=健康を維持する(衛生)∋美味しい
キタナイ=食べられない物(毒)=健康を害する(不衛生)
不味い

うまくまとめられた気がしませんが、今回はこの辺りで。

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