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「泣きたい私は猫をかぶる」を見ると、いろんな幻想がぶち壊される。

Netflixで配信中の「泣きたい私は猫をかぶる」を見ました。スタジオコロリド初の長編アニメ映画ということでかなり期待度大…だったのですが、色々と思う部分がある映画でしたね。


ポケモン薄明の翼」という短編であれだけ感動する作品を作れるスタジオが、長編を作るとどうなるんだろう?とワクワクしていました。先日、最終回である第7話「」が公開されたのをYoutubeで見ましたが、本当に毎回泣ける素晴らしい作品です。神すぎる。

個人的お気に入り回は4,5,6話。中でも4話は作画・脚本ともにトップレベル。6分で何回泣いたかわかりませんわ笑。絶対、ルリナ好きが本気で描いてる。プリキュアのララ変身シーンと同じ匂いするんだよなぁ…。


話が少し脱線しました。ここから泣き猫の感想。作品の雰囲気はとても良く、さすがコロリド!と脱帽なんですが…脚本がダメだぁ…。どうしてこうなったと頭を抱えるレベル。端的に言うと、監督と脚本家の得意ジャンルが違いすぎて、色々と中途半端で終わってしまっています。

内容的に岡田麿里要素が全く必要ない映画であり、どっちつかずになってしまっているのが本当にもったいない。完全にミスキャストだと思います。監督が2人体制なのも響いたのかな。

アニメで猫モノと言えば、「猫の恩返し」とどうしても比べてしまいますね。あちらは「自分の時間をどう生きるか」を描いているのに対し、泣き猫は「自分を捨てて、自分を探す」が大きなテーマとしてあります。


前者は物語を通して、ハルちゃんは自分の時間を生きれるように成長しました。糸井重里さんのキャッチコピー「猫になっても、いいんじゃないッ?」の言葉通り、猫になりたい!と思わせてくれる映画です。

後者は結局、自分を見つけることができたものの、不安定な成長なんですよね。なぜなら、自分というものは「どんどん変化」していくから。中学2年生時点の自分を見つけることができたとしても、これから先、また見失う脆さがある。正直に言うと、泣き猫からはあまり成長感を感じることができませんでした。見るべきものから目を背けてる感が拭えない。

やっぱり脚本ってほんと大事だなぁと実感。コロリドと相性の良い脚本家はたくさんいらっしゃると思うので、どんどん発掘していって欲しい。吉田玲子さんとか相性抜群じゃないでしょうか。

今日も日刊ムショクを覗きに来てくれて、ありがとう。
頼子ちゃんみたいな、自分のために泣いてくれる友達を大切にして欲しいね。


このnoteは「日刊ムショク」と題して、
無色の毎日をつらつらと綴る。
平日は7時ごろ、休日は9時ごろに更新予定。
また明日、時間があれば、覗いてね。

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