見出し画像

なぜ飛翔するシーンがアニメには多いのか。

夢想すなわち想像力とは飛翔のことなのだ、と。高畑さんや宮崎さんたちは考えた。その考えを明瞭に打ち出したのが連続アニメ「赤毛のアン」のオープニングシーンにほかなりません。
-熱風2020年4月号P23より引用

2020年8月の課題図書はジブリが発刊している雑誌「熱風」で連載中の「ジブリの想像力」。第7回目のnoteです。

ジブリっておそらくどの作品にも、空を飛ぶシーンがあるんですよね。「猫の恩返し」ではバロンと一緒に飛びますし、「となりのトトロ」ではコマに乗ったり、ネコバスに運んでもらいます。よくよく考えると、ひとりで飛んでるシーンはほとんどないかもしれない。誰かと一緒に飛翔することに意味があったりするんでしょうか。

連載では赤毛のアンのオープニングシーンを例に考察が進んでいきます。ぼくは作品自体は見たことがないのですが、多分OPは見たことがあります。東京で開催された高畑勲展で流れていたような気が…。

わずか1分20秒。これはもう、何度見ても見飽きない素晴らしい動画です。何が凄いかと言えば、人間にとって飛翔するとはどういうことかを、ものの見事に描き切っているからです。
-熱風2020年4月号P20より引用

ジブリに限らず、空を飛ぶシーンってアニメに結構あるんですよね。見ると胸がスカッとする。ずっとなんでだろう?と疑問に思っていました。その答えの手がかりが見つかりそうです。

夢想すなわち想像力こそがアニメーションの最大の特徴であり出発点であるとすれば、アニメーションとはすなわち飛翔のことなのだということになります。
-熱風2020年4月号P24より引用

なるほど。想像力=飛翔であり、アニメーションの特徴は想像力である。つまり、アニメーション=飛翔と言えるだろうということですか。これはおもしろい。逆に言えば、飛翔しないアニメはアニメじゃないってことでしょうか。「飛ばない豚はただの豚」とポルコが言うように、「飛ばないアニメはただのアニメ」にとどまってしまうのかもしれません。

ジブリ作品をAmazonでチェック▼

今日も日刊ムショクを覗きに来てくれて、ありがとう。
これからは飛翔するシーンの見方が随分と変わってくるだろうな。


このnoteは「日刊ムショク」と題して、
無色の毎日をつらつらと綴る。
平日は7時ごろ、休日は9時ごろに更新予定。
また明日、時間があれば、覗いてね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?