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何かと「マウントをとられた」と騒ぐ人は自分から「とられにいっている」だけという話

ここ数年聞くようになった言葉で「マウント」、「マウンティング」、「マウントを取る」などといったものがある。今更その意味を説明することはしないが、初めてこの言葉を来た時は「なるほど!面白いな!」と感じたものだった。
言葉そのものは新しいが、マウンティングと呼ばれるような行為は昔からあった。ただ、それをピッタリ表す言葉がなかっただけだ。それだけにこの「マウンティング」という言葉が生まれてからは使いやすさも相俟って爆発的に広まっていったのだと思う。

さて本題。
このマウンティングという言葉は最初は面白いと思ったものの、最近なにかとつけて「マウント取られた!」「マウンティングされた」と騒ぐ人が増えてたと感じる。もちろん冗談で言っている人もいれば、あからさまにマウントを取ろうとする人がいることは否定しない。
しかし、日常のちょっとした発言や行動などを指摘して「マウント取られた!」などと騒ぐ人を多く見かけるようになった。

例えばの話(と言いつつ、実際見かけた例だが)。
SNSに夕食の写真を載せ「野菜高くて困る~」などとコメントを添えた投稿に対して、「高騰している野菜を買える余裕があることでマウント取ってきた」と毒づく書き込みを見かけた。

また別の例。普段自炊するかしないかの話題で「私は仕事忙しいから平日は帰宅してから料理する余裕ない」といった発言に対して、「自分のほうが忙しくて優秀だとマウンティングしてきやがった」と受け取る人がいる。

前者はただ共感してほしいだけ、後者は事実を述べたまでである。
そもそもたいていの人は、自分の話をしたいし、自分を見てもらいたい、承認してもらいたいという単純な気持ちから言動がなされるのであって、その裏側に「私はあなたより格上です」という意図は込められていない(もちろんそういう人がいるのは否定しない)。

これを言うと「本人は無意識にマウントを取って自分を保っている」的な反論をしてくる人もいるが、マウンティングが無意識ならもうそれはそれでいいのではないかと思う。
本人がマウントを取る意志がないのに「マウント取られた」と騒いている人は、ただただ突っ立っている人の下に潜り込んだり、背後を取らせたりして「こいつマウント取りやがった!」と騒いでいるのと同じである。

人の言動を細かくチェックして、「こいつマウント取らないかな、取らないかな・・・よしっ、いまだ!」といった具合に、マウントが取られたくてウズウズしているのではないか。

似たようなこととして「○○自慢」「○○アピール」といったものもあるが、言ってる本人はそんな意図がないのに、受け取り側が自慢やアピールと解釈する場面も見受けられる。これも同じ構造であろう。

他人は自分を写す鏡と言われるように、相手の言動をどう解釈するかは自分が抱えている問題であったりコンプレックスが原因だったりするので、日常的に「マウントを取られた」とか、「○○アピール」とか感じる人は、本当にその相手はマウントを取りに来ているのか、何かをアピールしたいのか考えた方がいいと思う。

もちろんここまでは自分の個人的な意見である。
「お前はママ友ランチ会で繰り広げられる戦いを知らないからそんなぬるいこと言えるんだ」みたいなことを言われたら「仰る通りです。スミマセン」としか言えないのでご容赦いただきたい。

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