法則やルールの2番や3番が前掲について書かれているものが何となく好きという話
有名なロボット工学三原則というものがある。これはかの有名なSF作家アイザック・アシモフの小説において、ロボットが従うべきとして示された原則であり、以下のようなものである。
第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
第二条 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
第三条 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。 (「われはロボット」)
さて、中身は置いておいて、私はこのような、第二条の中に「第一条に反する場合は、この限りでない。」といった記述や、第三条の中に「前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり」といった記述が好きである。
好きなのに特に理由はない。ただ美しいとか洗練された法則や原則に見えるからだろうか。
他の例を挙げる。
著名な投資家ウォーレン・バフェットの言葉である。彼の投資哲学や教訓は様々な媒体で数多く紹介されているのだが、私は次の教訓が好きである。
ウォーレン・バフェット投資の3カ条
ルール1 お金を失わない
ルール2 ルール1を忘れない
ルール3 借金をしない
ー「カリスマ投資家の教え」 (日経ビジネス人文庫)
このルール2の「ルール1を忘れない」が堪らない。3か条と言っておきながら実質2か条で済むのに敢えてルール2を作ってルール1が大事なことを強調していることが伝わってくる。
逆にルール2でルール1と矛盾したことを言っているケースもあり、それはそれで面白い。映画の台詞回しなどでもたまに耳にする。
「いいか、△△で大事なことは2つある。一つは○○で、もう一つはXXだ」といった形式で二つ目で1つ目を否定するパターンである。
このようにルールや法則のなかに自分自身が含まれているのを見るのが好きであるがなかなかそういう機会は頻繁にあるわけでもなく、「3法則」、「7か条」、「10の提言」といった言葉を目にすると「もしかしたら…」と思いついつい中身を見てしまうのである。