通夜会場

黒木昭雄さんの命日に寄せて

 2010年11月1日に元警視庁巡査部長でジャーナリストの黒木昭雄さんが自殺してから、本日で9年となります。まったく早いもので、私も今年、黒木さんが亡くなったときと同じ年齢、52歳になりました。

 黒木さん自殺の直後、私は月刊誌『PiDEA』(ピデア)に追悼記事を書いています。しかし、同誌はパチンコ業界誌であるため、あまり多くの人の目に触れなかったかもしれません。

 そこで、今年の命日は、noteに記事を再掲することで、黒木さんの冥福を祈りたいと思います。

黒木昭雄

黒木昭雄さん自殺の第1報

 2010年11月2日の夕方、新千歳空港から羽田空港に着陸した飛行機を降り、携帯電話の電源を入れると、10件近い着信と留守電メッセージがあった。搭乗時間は1時間30分余り。その間に、これだけの連絡が入るということは、何か起こったに違いない。

 着信履歴をチェックしてみると、ふだん電話がかかることがないマスコミ関係者からのものがいくつかあった。最初の留守電メッセージも、そういう人物が吹き込んでいた。

「お久しぶりです。緊急でおうかがいしたいことがありますので、お電話ください」

 肝心の用件がわからず、いらだちを覚えつつ、2件目の留守電メッセージを再生しようとすると、旧知の週刊誌副編集長から電話がかかってきた。

「黒木さんが自殺したという情報が流れているんですが、何かご存じですか」

「まさか」という気持ちと「やはり」という気持ちが交錯した。元来、黒木さんは強気な性格だが、2年余り前、「ある事件」にかかわりはじめてから、神経が衰弱していった。

 副編集長とお互い情報収集することを約束して電話を切り、残りの留守電メッセージを再生すると、全部が黒木さんに関するものだった。こちらでも電話をかけて、情報収集しようとした矢先、副編集長から再度、電話がかかってきた。

「ネットで速報が流れました。自宅近くで練炭自殺だそうです」

 声もないとは、このことだった。

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