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生きている、それだけでよくて

生きていると、どうしようもなくなる時があります。

喪失感だとか、無力感とか、そういったもの。
それらに、なんの前触れもなく襲われることがあります。

そしてそれは、なにか別に大きな事件を経験して思うわけではありません。
本当に些細なこと、日常のふとした瞬間にやってきます。

会社から家へと向かう帰り道。
スマホでネットサーフィンしているとき。
コインランドリーに洗濯物を突っ込んでる瞬間。

本当にどうでもいい瞬間にやってくるのです。

するとなんだかとたんに体が重くなる気がします。特に頭。
そうなると椅子、あるいはベッドから動けなくなります。
今やるべきことが手につかなくなる。

それをシャワーを浴びたり、無性に夜道を散歩してみたり、酒を飲んでみたりしてそれを解消することができることもあるけれど、それでも大事な何かを失ったような気持ちや、何してんだろって思う気持ちを1から10まで解決できるわけじゃない。

でもそうやって、自分の心とは付き合っていかなくちゃいけない。
なぜならそう思う自分も自分だからです。
その気持ちを嫌うと、自分の一部を否定することになっちゃって、結局その負の感情はゆくゆくは自分をまるごと嫌いにさせてしまいます。

だからそんなときに聞く曲を、ふと書いてみようと思いました。
自分がダメそうなとき、私はこんな曲と共に過ごします。

三月のプリズム / bonobos

なきべっちょらにずっと降り注ぐのが
いいことばかりであることを願い
私達は歌おう
悲しみにドッコイセぇと土を盛り
そして千年の一瞬を狂った渚に
まっさらな明かりがつくのを見よう

2014年の曲、bonobosのアルバム『HYPER FOLK』の中の1曲です。時代背景や歌詞から読み取れるように、そしてMVが語るようにこれは震災の鎮魂、そして復興の曲です。

ですが今聞いても色褪せない曲です。
ただの言葉だけでは届けられない。
歌に乗ってこそ届くことがある。歌だからできる届け方がある。
そんな歌の可能性すら見せてくれる曲だと思っています。

悲しいことのあとには、嬉しいことが待っている。
そういう言葉はよく聞きます。でもこれは、言葉足らずです。
本当は、悲しいことの後は、その悲しみをちゃんと悲しむと、嬉しいことが待っているだと思います。

それをこの曲はちゃんと語っています。ちゃんと悲しみを心に秘めて、経験して、汗を流してこの悲しみと付き合っている。

誰しもの心に、記憶に、“一瞬の狂った渚”はやってきます。
でもその真っ暗で、鉛色の渚に明かりをつけてやろうと歌うのです。

悲しみとともに生きることが、悲しみを肯定して進むことが、私にはこれがとてつもなく明るい太陽のように、温かい希望のように思うのです。

▷ (Saisei) / mol-74

夜明けの魔法を唱えるように
答えを失った僕が待っていた
いびつな形をした思いと
夜明けの魔法を唱えるように
答えを失った僕が待っていた
きっと僕らは生まれ変われる

こちらは2018年の曲。
アルバム『▷ (Saisei)』に収録された、同名タイトルの曲です。

こちらはメジャーデビュー前の曲で、メジャーデビュー後に発表したアルバムにも「Saisei」とタイトルを変えて同曲が存在しますが、このときのバージョンのものが好きです。

これはタイトル通り、再生の曲です。

再生という言葉は今でこそ音楽や映像を再生するという使い方をします。
ですが本来は、ある姿や形を再びやり直すという意味です。止まっていたものが動き出す。死んでいたものが生き返る。PlayよりもReplayなのです。

この曲はずっとサビの終わりが自分への問いになっています。
「きっと僕らは生まれ変われるかな」。
そうやって自分の内側に閉じこもって、ずっと自分に聞いています。夜の中に動けず立っています。

でも無根拠に怯えるなとか、元気出せとかって言うんじゃありません。
怯える自分がいるというのをしっかり描き、それに対して否定的な事は言いません。

三月のプリズムでも書いた“悲しみをちゃんと悲しむ”と同じように、この曲も不安にちゃんと怯えることをします。

そしてこの曲の最後にずっと自分に聞いてきた問いに答えるのです。
「きっと僕らは生まれ変われる」
ここでもまだ「きっと」であることは変わらないけれど、でもちゃんと夜から朝の方向に向けて、自分の内から外へ向けて進むことを決めるのです。

この不安に怯えて動けない小さな死の状態からの再生。生き返り。
Saiseiといいつつ、まだ再生ボタンをタップした瞬間なのかもしれない。
でもこの瞬間こそが変化にとって一番大事な瞬間だと思うのです。

そのいのち / 中村佳穂

夜に道一人で歩いていても
新しいページが光っても
生きているだけで君が好きさ
明日は何を歌っているの

細田守監督の最新作「竜とそばかすの姫」で主人公のすず(Bell)役として声を当てたことでも注目された中村佳穂さんの「そのいのち」。
2018年のアルバム『AINOU』の一曲、記載の動画はあえてライブ版のものにしました。

ここまで悲しみをちゃんと悲しむ、不安にちゃんと怯えるということを書きました。だけどそれでも、自分の心のキャパシティを超えて感情の波が襲い来ることがあります。超えれないと思う夜はあります。

そんなときは自分が生きていることを肯定する。それだけでいい。
そう割り切ってこの曲を聞きます。

この曲は意味のない言葉が並びます。言葉の意味よりも、その言葉の持つリズムや語感、勢いみたいなものをそのままに歌い出します。

そんなフニャフニャとした歌の中で、唯一しっかりとはっきりと「生きているだけで君が好きさ」と歌います。

本当はこれだけでいいんです。仕事ができないとか、人に相手にされないとか、色々な悩みもあると思います。
生きているだけでいいと言われたところで、「じゃあ生きていてよかったねちゃんちゃん」で終われるほど単純な世の中で、社会で生きているわけじゃない。
人によっては「人の気も知らないで」と怒ってしまうかもしれない。

でも、それでも、生きているということはそれだけで絶対的に肯定されるべきことなのです。絶対のない世の中で、それでも絶対に正しいと叫びたいのは「生きていること」です。

それだけであなたは、私は十分に素晴らしいのです。

そしてこの曲は僕らは応援してくれます。
「いけいけいきとしGOGO」「いけいけいきとしGOGO」と。文字にすると頭空っぽな幼稚園児みたいな言葉だけど、でもこの言葉が単純で混じりけがないからこそ、すっと背中を、心を押してくれる。

これを歌う中村佳穂さんの音楽を全力で楽しんでいる姿勢がまたいいのです。この曲が深刻にしんみりと歌うようなものだったら、こうは思わなかったかもしれない。
本当に音楽を信じて、全力で、体全体で、笑顔で歌うのが素敵なのです。

そういうなにかを信じて全力で輝ける、そういう自分になれるかもしれないというエネルギーを貰うことができる、そんな素晴らしい音楽です。


1. 三月のプリズム / bonobos
2. ▷ (Saisei) / mol-74
3. そのいのち / 中村佳穂

この3曲を自分なりにご紹介しました。

熱く語ったかはわかりませんが、自分にとっての友達のような曲たちです。
私が紹介しなくてもすでにいいところが知られているような、そんな曲たちですが、それでも一人でも多くまた誰かの耳に届く機会を生み出せたなら、この文を書いた甲斐があったなと、そんなふうに思います。

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