恐怖とソウゾウ

高所恐怖症とか、閉所恐怖症とか、先端恐怖症とか。
世の中にはいろんな恐怖症がありますね。

私も高所は苦手です。なぜ怖いかというと「ここから落ちたら死ぬ」という想像がよぎって、痛みを想像するからです。

これは言い換えると、あるモノ・対象を見たときにそれが起こしうるリスクを予測し、その重大さ・深刻さを算出した結果、痛みや苦しみが導かれたんじゃないかと思います。

まあ要するに悪い方に考えすぎ、という話ですが。

ただこういう考えすぎこそが、新たな価値を生むことがあります。
例えば、高所恐怖症の人がいなければ柵や命綱は誕生しなかったでしょう。

恐怖に対抗するための手段を講じる。
恐れるというのはとても貴重な能力であり、人間の強さだと思います。

また、自分が何に恐怖するのかを自覚することは、それに対抗する策を考え出して新たな価値を生みだすための種であるともいえます。

どうすればその恐怖を克服できるのか。自分の中に何があればいいのか。
それを考えると、ちょっとだけ自分の恐怖心と友人になれる気がします。

ただ、恐怖心の克服を排除によって手に入れようとすると、あまりいいことないですね。なぜなら、恐怖する対象が現れるたびにずっとその対象を排除しなければならないからです。

排除が1回とか2回で済むなら別にいいんです。
だけど、これが何度も何度もやって来る場合、こちらも何度も何度も排除を続けなきゃならない。
そうすると結局は殲滅戦です。相手がいなくなるか、自分が擦り切れるまでずっと戦いが続くことになる。するとこの世はヴァルハラとなり、永遠に殺し合いが続きます。

そういうヴァルハラ、なんとなく見覚えや思い当たるものがあるんじゃないでしょうか。次から次へと排除を続ける戦い。

疲れます、そんなのは。
だから克服に足りないものを想像して、それを創造する。
そしてそれを守り抜き、決して恐怖排除のヴァルハラには踏み入れない。

恐怖と一緒に付き合う。
それが良い人生を送る心持ちだと最近ふと思うのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?