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北海道胆振東部沖地震から3年

3年前の今日、北海道胆振東部沖地震があった。
今一度、震災が来た時にどうするかシュミレーションしよう。
身の回りは大丈夫か。
冬に起きたらどうか。
コロナ禍の中で避難はできるか。
陽性者として自宅療養中または濃厚接触者として経過観察中にはどうしたらよいか。
「天災は忘れた頃にやってくる」
これは、戦前の物理学者寺田寅彦の警句です。

札幌新陽高校 校長日誌 2018年9月6日(木)
【地震への対応備忘録と検討事項】

朝3:08に地震で飛び起きた。
大きな揺れでこのまま続くとやばい、と思うくらいだった。


新陽高校では全職員がGoogleハングアウトで情報共有することになっているので、すぐに安否確認をした。全員安全を確認。
余震も続き、停電や断水が広がる中、3:40に生徒は休校、教職員は自宅待機としてホームページに掲載した。


4:30女子硬式野球の生徒たちがいる女子寮を訪ねてから、4:45に高校に到着。信号は全て止まっていて、みな運転が乱暴になっていた。
櫛田副校長、高橋・長谷川教頭の4人で被害状況を確認しに校舎を全て回り、今後の予定を確認。

9/12(水)に前期期末試験を予定しているので授業日数の確保と、停電が広範囲に渡ることから復旧への見通しを予測。

難しい判断だったが、翌日の通学通勤の心配をしながら家の片付けや水の確保などを生徒や教職員にさせたくなかったので、この時点で翌9/7(金)も同様の措置とすることに決定し、7:30にホームページに掲載。


その後は3名に任せて、系列の第一幼稚園、慈恵保育園、めぐみナーサリースクールをそれぞれ訪問。


割れた食器の片付けもままならないままに、歩いて通勤してきたり、途中でタクシーを拾って出勤してきた若い保育士たちのプロ意識に頭が下がる思いだった。


しかし、どの園も停電。また、働く人の心身が健やかであって保育もできるとおもうので、今日、明日は出来るだけ休園にすることを前提としてそれぞれの園長の判断に任せた。


すでに2名の園児を預かっていためぐみナーサリースクールも、保護者が午前で仕事が終わって午後から休園。保育士も15時には自宅に戻ることができた。


1000名の生徒・園児を100名の教職員・保育士で預かっている札幌慈恵学園。


今日1日でいろんな課題が判明した。


高校は生徒・保護者への連絡手段。
幼稚園・保育園は意思決定プロセスと職員間の連絡手段。
また、自身の体調管理も問題だった。
先週末から具合が悪くて昨日は熱が出ていたので頭がボォっとするなかでいろんなことを考えて決定しなければいけなかったのは辛かった。


17:35に豊平区平岸の実家は通電し、水も出るようになった。しかし、21:30現在も停電している地域はたくさんある。


ニュースによると、新千歳空港は明日再開。JR北海道は明日の午後以降再開予定。地下鉄やバスは未定とのこと。


もしも、と考える。
もしも、授業中に起きたらどうだったか。
当然、避難訓練はしているので、外に速やかに並ぶだろう。
でも、その先はどうだったか。
停電により、交通網は遮断されている。
約半数の生徒が交通手段が無くなることになる。
体育館で保護者が迎えに来るのを待つしかなかっただろう。


そして、さらに考えてしまう。
もしも、それが真冬に起きたらどうだったか。
もしも、猛吹雪で信号が動かない道路を車で移動することが危険な時はどうなるか。


考えなければいけないことがたくさんある。

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