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新陽高校の仲間のみなさんへ (長文です)

今日3月31日が、新陽高校で校長として務める最終日になります。明日の4月1日に向けて昨日から東明館に来ているので、この大事な最終日に新陽にいれませんでした。

苦しい日や楽しかった日々を共にした新陽の仲間の教職員のみなさんへ、校長として最後のメッセージを伝えたいと思います。長文になってしまいましたが、お読み頂ければ幸いです。

今から5年前の2015年12月28日、自分のフェイスブックに下記のように書きました。

【ソフトバンクを卒業します】
来年の1月31日を持ちましてソフトバンクを退社することにいたしました。
翌2月1日より札幌にて学校法人慈恵学園 札幌新陽高校の校長を務めます。
祖父が37歳で創立した学校法人ですが、自身は39歳で亡くなっているので、同僚達が運営を引き継ぎ60年。
しかし、少子化に伴う私学経営の厳しさもあるなかで、声がかかりました。(系列には札幌第一幼稚園もあります)
シェアした昨年12月の投稿にあるように祖父が亡くならなければ、父は母と出会うことがなく、僕もこの世にいなかっただろう、という不思議な因縁。
その祖父が初代校長を務めた学校の校長を継ぐことにしました。
教育現場も知らず、教員免許もありませんが
・生徒や先生が純粋ないい目をしていること、
・福島の学校関係者、保護者、そして生徒たちから「学校の大切さ」を学んだこと、
そして
・リクルートの大先輩の藤原和博さんから「結局、覚悟だよ」と言われたこと、
で決断しました。
受験エリートを養成しても、いい大学、いい会社へと進むなかで、みな東京に吸い込まれて、一部の人は疲弊してしまう姿を見てきました。
それよりも、北海道の地元に残って、自分の足で立って、地域の信頼を得ながら、東京や世界に向けてコミュニケーションを通じてビジネスをする。という人材を育てていきたいと思っています。
北海道の地の利を活かして、観光と一次産業とITを軸とした人材立国を作っていきたいと思います。(後略)

この文中に触れている「昨年12月の投稿」というのは、今から13年前に父が「札幌慈恵学園50周年への寄稿文」として書いた文章のことになり、こちらになります。

上で書かれているように、学園の創立者は、医科大学を創立することを目標としたものの39歳で亡くなりました。

3人の子どもを一人で育てた祖母は、息子が39歳になったときに農水省の役人を辞めて夫が創立した学校の教鞭を取ることを夢見ながら、第一幼稚園の事務員として働いてました。

結局、祖母のその夢は生きているうちには叶えられませんでしたが、祖母の没後31年が経ってから叶うことになります。2015年に70歳になった父が理事長に就任します。

そして新任理事長の父から校長を打診された時に「おじいちゃんが創った学校だし、本当は父がやらなければいけない学校だけれど、父は勝手に政治家になって、更には選挙が弱いし、経営だってできるとは思いにくいから」自分が引き受けるしか無いだろう、と思ったのが率直な気持ちでした。

実際のところ、財務状況も超逼迫していたので、経営改革がうまくいかなければ、2,3年後には創立者の3代目として閉校や債務保証などの責任を取る覚悟もしなければいけないと思いました。

それから5年が経ちました。今、振り返ると、その時の覚悟はいかに幼く、短絡的な思考で物事を見ていたかと今は恥ずかしく思っています。

確かにこの学校を創立したのは僕にとっては祖父ですが、学校で教育活動を続けるのには、到底一人では出来ません。

1年間学校を運営するには、毎年100人前後の教職員と共に活動をする必要があり、その仲間たち一人ひとりのともしびがあったからこそ、いま、こうして63年の歴史が輝いているのだと思います。

40歳で素人まるだしで校長になった僕を新陽高校の先生たちは受け入れて根気強く付き合ってくれました。みなさんがいたから、新陽高校が残り続けたと思っています。ことができました。本当にありがとうございます。

先日、漫画キングダムの著者原泰久さんにお会いして色紙をいただきました。色紙を書いてもらう際に「誰にするか」という悩みがありました。

周りの方々からは、キングダムのたくさんの魅力的な登場人物の名前があがって僕も悩んだのですが、思い切って「原さんにおまかせします!」と言ってみました。

原さんは東明館の卒業生で、また同世代ということもあり、何度かじっくりとお話をして、親しくさせてもらってきたので、なにか大占い師に人生を預けるような気持ちになりました。何が出てくるのか委ねてみたいという思いがあったのかもしれません。


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原先生が書いてくださったのは、キングダムファンならご存知の「天下の大将軍 王騎将軍」でした。死の直前に、中華の未来を託して主人公の信に矛を渡す人物です。この色紙を書いてもらっている時に、「あぁ、やっぱりこれで良いんだ。。。」と自分の人生を肯定できるような思いがしました。

もちろん、僕自身は大将軍でもないし、きっと志半ばで倒れるのだろうと思ってはいるのですが、それでも、夢を託して次に矛を渡すことはできるのではないかとずっと思ってきました。それは、学校という未来を創る場所に来てから日に日に思いが強くなってきたことです。

新陽高校で共に働いたみなさんこそ、いずれは学校が変わったり、立場が変わったりするかもしれませんが、それでもその矛を受け継いで共に描いた夢を実現してくれるのだと信じています。新校長の赤司さんの元で、これからもどうぞ本気で挑戦し続けてください。僕も立場は変わりますが、同じ学園の仲間として常にサポートしていきます。

5年と3ヶ月、本当にありがとうございました。

みなさんと会えて、共に働けて僕は幸せでした。

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