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ぼくの性質上 連載を書いていると めんどくさくなって 書くのがおっくうになることが判明www なので、書きたいことを書こうと思う 地域おこし協力隊という職業に就いたときに ぼくの中には漠然とだけど 起業はもう頭の中にあった。 どんなことをするのか? どうやってはじめるのか? どのくらいもうかるのか? ちゃんと食っていけるか? などなど、よくわからないけど とりあえず、せっかく自由を求めて就いた職だし 3年という準備期間を収入を得ながら準備できる
野良犬として生きてみようと思った でも、父として 妻と息子にもやし生活をさせるわけにはいかない でも、ぼくは何がしたいのか? このときは検討もつかなかった。 そんなとこからのスタート みんな、とりあえず安心して 今もぼくは生きてます さて、何をしたいのか? いろんなイベントに学びに行った いろんな人に会った その中で、今もつながる面白い方たちとも この頃に出会った。 ぼくの働く根幹を見つけてくれた ブランディングのチカイケさんや ほぼ同じタイミン
ぼくは何がやりたいんだろう・・・ そのとき考えたことは ①給与無くなったら詰むんじゃないか ②好きなことってどうやって見つけるんだっけ? ③ぼくに起業なんてできるのか? まず一つ目は正直深刻だった。 だってさ、それなりの給与もらってたので それが0になる恐怖は半端ない。。。 おそらくほとんどの人がここで諦める。 それもまた仕方ないことだと思いつつ ふとあることが頭をよぎった。 「ホリエモン」 実はなんとなく、ライブドアのころから ただ何となく 話し
いろんなところでよく聞かれること ぼくは何故協力隊になったのか? さかのぼること5年前。 ぼくは普通のサラリーマンだった。 家族のために給料を稼いで 家族のために生きる とても良い会社だったし とても良い待遇だったとも思う。 そんな中、何故そんな決断をしたのか? 息子が産まれたときに ぼくは何がしてやれるかを考えた ・食べることに困らないように食べさせる ・やりたいことを叶えてやるために稼ぐ ・できるだけ不自由のない生活をさせる ・・・確かに大事。
長野県に来て早3年。 移住当時予想もしていなかったいろんなことがあった。 当初、長野県に南に位置する 南信州豊丘村というところの協力隊として着任したわけだが それはもう刺激的な毎日www 楽しいこともあれば、もちろんそうでないことも しんどいことも今思えば多かったのかもw まぁそれはさておき。 県の協力隊って何よ? って話ですよね。 ぼくも着任当初いろいろな生業づくりは考えていたものの まさかそうなるとは(笑) って感じの一手でした。 現在の活動は何