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サッカーを奪われたサッカー選手に問われる価値とは。


あなたはサッカー選手に
どんな価値があると思いますか?


様々なものがあると思いますが
1番わかりやすい例でいえば
目に見える"お金の価値"でしょうか。

世界最高の選手である
リオネル・メッシ選手は
年俸がおよそ55億とも言われています。

まぁ正直すごいというか
イメージが湧かないのですが、笑

サッカーをすることで
それだけの大金が動くのは
まさしく価値があるのだと思います。


一方、
僕はメッシ選手と同じ
プロサッカー選手ではありますが、
年俸は大卒ということもあって
他のプロサッカー選手と比べても
なかなか低い方だと思います。笑

では
年収が低いプロサッカー選手には
価値がないのでしょうか?


たぶん答えはNOですよね。

サッカー選手の価値は
お金だけで図れるものではない
と思っています。

 

例えば
サッカー選手には
"時間"という価値もあります。

ブラウブリッツ秋田の選手で
法政大学の先輩でもある青島選手が
このようなことを言っていました。

「サッカー選手の収入は
お金+時間も含めての収入だと思う」

ということ。


基本的に
プロサッカー選手の1日のスケジュールは
午前中に練習をして午後はフリータイム
というような流れが多いような気がします。

一方、
会社員の方々は朝から晩まで仕事をして
給料をもらうという流れだと思います。

あくまでも
どっちがいいみたい話ではありません。

暇な時間が嫌いな人もいるだろうし
1日中オフィスで働くことが
好きな人だっていると思います。

ただ、1つだけ言えることが
時間はお金では買えないということ。


22歳の僕が言っても説得力は無いですが、
今後歳を重ねていくごとに
欲求が増えていくのは、
間違いなく"時間"だと思います。

「昔に戻れたらな...」 

「〇〇をしておけばよかった...
時間戻らないかな...」

そんなことを思っても遅いわけで
時間は帰ってこないですよね。


そう考えると
たとえ普通の会社員の方々よりも収入が低い
僕のようなプロサッカー選手だったとしても、

サッカーという好きなことをしながら
プラスαで自由に使える時間も多い

ということを考えれば
それなりに価値は高いのかなと。

ただ、あくまでも
その時間をどれだけ有効活用できるかが
大事になってくるわけですが、

(トップオブトップになれたら話は別ですが、
いくら時間があっても
ずーとダラダラ過ごしていたら
サッカーしかできないやつになって
オワコンになっちゃいますよね。)


よく聞く話で

J3(不安定な環境)に行ってまで
プロサッカー選手になるのか。
それとも
夢を断念して大企業に就職して
安定的な生活を過ごす選択を取るのか。

そんな難しい選択に迫られて悩んでいる
大学サッカーの選手が
多いような気がしていたので、
少しでもそんな選手たちの
参考になればなと思っています!


みたいなことを
書こうと思っていたわけですが、


コロナさんの影響で
多くの人が自由な時間を手に入れたことで、

この「プロサッカー選手には時間の価値がある」
という話の内容が
粉から作るスポーツドリンクぐらい
説得力が薄くなってしまっただけでなく、

そもそも
プロサッカー選手なのにサッカーができない
という一種のパラドックスみたいな
状況に陥ってしまったことで、

「サッカーできないプロサッカー選手は
どこに価値があるのか?」

ということを
改めて定義しなくてはいけなくなったため
ここからが今回の本題になります。笑


「サッカーを奪われたサッカー選手に 問われる価値とは。」

じゃあ
サッカーができないプロサッカー選手
の価値は何かというと、

結論から言ってしまえば
"人間力"だと思っています。


というのも
もし多くのファンの方々が
サッカー選手の価値=サッカーをしていること
と考えていた場合。

ほとんどのサッカーファンの方々は
バロンドールを最多受賞し
世界で1番うまい選手である
メッシ選手のファンだと思います。

しかし実際は違いますよね?


セレッソ大阪の都倉選手が
このような投稿をしていました。

「プロサッカー選手っていうのは
あくまでも自分自身を
1番魅力的に表現できる肩書きの1つ」
で、

じゃあその肩書がなくなった時に残るのは
パーソナリティーだよねという話ですね。


個人的には
9.9割は同意なんですけど
それは人によると思っていて、

例えば
本田圭佑さんのようなタイプの人であれば
仮にサッカー選手という肩書きがなくなっても、

教育者や起業家といった
別の肩書きがあると思います。

つまりは
このコロナウイルスが起きる前から
他人の批判を気にせず
色々なジャンルに手を出し、
サッカー以外(本業以外)のところで
マネタイズしていた人たちほど、
窮地に陥るほど
コロナの影響を受けていないのかなと、

という話は置いといて。


ただ、僕も含めて
ほとんどの選手がプロサッカー選手以外の
肩書を持っていないと思います。

そうなると
この期間を使って新たな肩書きを作るか、
それとも
多くの人に価値を感じてもらえるだけの
人間力を高めていく必要がある
と思います。

もちろん僕は欲張りなので
どっちも取り組んでいこうと思っていますが、

この肩書きをなくしてしまった人は
サッカー選手だけでなく
飲食店で働いている人のような
コロナさんの影響で
困っている人たち全員に言える
と思います。


つまり何が言いたいかというと、

プロサッカー選手を含めて
コロナさんによって被害を受けた多くの人が
それぞれの活躍していた土俵から下され、
パーソナリティーを競い合わなくては
いけない状況に陥ったのかなと。

いわば
パーソナリティー戦国時代みたいな。笑

要するに
これまで以上に自分らしさというか、
周りの人と差別化できるキャラ作りが大事
ということですね。


じゃあなぜキャラ作りが大事なのか?
という話はいったん置いといて、

この「キャラを作ろう」問題は
ここ最近ずーと言われていたことだと思います。

キングコング西野さんの説明が
とても分かりやすかったので
参考にさせてもらうと、


今は(昔は)"貨幣経済"
お金持ちがチャンピオンだったと思います。

だからこそ
学校の先生といった色々な人が
「お金を貯金をしろ!」
と言っていたわけですね。


しかし、
SNSが登場したことで
"評価経済"が始まりました。

SNSのフォロワーの多い人にお金が集まる
みたいな時代です。

だからこそ
多くの人が評価(フォロワー数)を稼ぎ始め、
中にはお金でフォロワーを買う
みたいな人もいたわけですね。


そんな評価経済が続いてきた中で
次に何が起こったかというと、

数百万人のフォロワーを持っている芸能人が
たった1度の不祥事で
活動休止に追い込まれたり、
フォロワー数が多いのにも関わらず
クラウドファンディングをしても
お金が集まらないという人が出てきました。

「フォロワーが数が多ければ良いわけではない」
ということが見えてきたわけですね。

つまり
「評価=フォロワー数」が
成り立たなくなってきた
ということです。


そこで出てきたのが信用経済です。

他人の批判を気にせず本音を言える人が
「あの人は信用できる!」
というように
評価を集められる世界になってきました。

そんな信用経済では嘘がNGです。

お金をもらったからと言って
平気で嘘をつく人は一気に信用を失います。
 

信用経済の世界では
フォロワー数の多い女優さんであっても
自分が使ってない商品をCMで広告してしまうと、

「お金さえ払えば、嘘をついてくれる人」
というように
フォロワー数を稼いでいるのに
一部の人からの評価は著しく低い
という状況になります。

つまり
クラウドファンディングをした時も

「女優の〇〇は知ってるけど
信用してないし別に応援するほどではないな。
それなら友達(信用がある)の
〇〇さんのために支援しよう!」

みたいな状況が生まれたわけですね。


ここで整理することは

評価経済の中には
フォロワー経済信用経済
2つがあるということ。


じゃあここからどうなるの?

という話ですが、

フォロワーの数に意味がない
ということに感づいた人たちが増えたことで、
SNSやYouTubeなどを通して
本音を言う人が増加してきました。


数が増えると価値が下がるのは世の常で、
(ダイヤモンドが雑草のように
そこら中にあったら価値を感じないみたいな)

「この料理全然美味しくない!」
と言いやすくなった時代に

「この料理全然美味しくない!」
と言っている人が増えれば、

「今さら正しいことを言ってんじゃねぇ」
という人も出てきます。

その結果、
誰でも正解が出せる時代になったことで
キャラクター(その人らしさ)がある人に
注目が集まるようになってきました。

これが"キャラ経済"というやつです。


パッと分かりやすくいえば
江頭さんみたいな人ですね。

キャラ経済を生きるために重要なのは
一貫性があることです。

本当のことを言うよりも、
嘘をついても、間違ってもいいから
とにかくブレずにやり続けることですね。

つまり
「〇〇君らしい!」みたいな
役に立つもの(代替可能)ではなく、
意味があるもの(代替不可能)が重宝される時代

に突入しているというわけです。

多くの人が江頭さんに求めていることは
役に立つ知識などではなく
江頭さんらしいぶっ飛んだ姿だと思います。


キンコン西野さんがこのことを
コンビニで分かりやすく例えていました。

ハサミやホチキスなどは役に立つ物で
つまりはNo.1だけで十分

2番目に切れるハサミなんて
誰も求めていませんよね。

この役に立つ物の頂点がAIになります。

一方、
意味があるものは
タバコやお酒といった嗜好品で
代替できないものになります。


つまり何が言いたいかというと、

周りの人と差別化を図って
意味がある(キャラを持ってる)人間になる
必要があるよね
ってことです。
(ここでやっと話が戻りました。笑)

要するに
トヨタや日産を目指すのではなく
ランボルギーニやフェラーリを目指そう
みたいなことです。
(逆に分かりにくい)


日本の学校教育は
役に立つ人間を育ててきました。

出る杭は打たれ
みんなを「優等生」という枠組みに
押し込もうとする。

役に立つ人間を目指してしまうと
いつかAIに代替されてしまいます。


それでもいいなら
特に言うことはないんですけど、

もしそれが嫌なのであれば
ダラダラと過ごしている暇なんてなくて、

少しでも自己分析をして
自分のキャラを確立するために
取り組んでいった方がいいのかと。
(#上にいる人ほどやっている)


ではなぜ
自分だけのキャラを持つ必要があるかというと、

自分がスポットのような存在になり
勝手に人が集まってくることで

コミュニティーが生まれるからですね。

「今は個の時代だ!」
みたいなことがよく言われていましたが、
現在は間違いなく
コミュニティーの時代なんだそうです。
(本当はもっと前から)


コロナさんがそれを
より可視化させましたよね?


なぜマスクやトイレットペーパーの
買い占めがあったのでしょうか?

あれはコミュニティー(横の繋がり)を
持っていなかったから
だと思います。

信用という強固な糸で結ばれていた人たちが
自分の周りにたくさんいたら、

「別にマスクなんて買わなくていいでしょ。
なくなったら〇〇さんから貰えばいいし!」

という状況が生まれていたと思います。


僕は昔のことがよく分からないのですが
SNSが普及する前には、

ご近所さんに
「この料理余っちゃったからぜひ食べて!」

みたいなコミュニティーは
少なからずあったのではないでしょうか。

本当に困った時に自分を助けてくれるのは
表面上の関係ではなく
コミュニティー(強い絆)だと思います。


そう考えても
確固たる自分なりのキャラクターを作ることと
コミュニティーの輪を広げる取り組みは
今のうちからしておいた方がいい!

というよりは
すでに遅いから早急にとりかからなきゃ!!
みたいな話でした!

(#急がなきゃ急がなきゃ)

#ONEFIELD #Jリーグ  
#ブラウブリッツ秋田 #下澤悠太

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