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残酷な世界

129日目

これは決して悲観的な意味ではない。
ただ思うのは実に残酷な世界になっているかもしれないということ。

教えるべき立場の人は、コンプライアンスを気にして伝えることへの制限がかかり、
表現すべき人達も色々な制限を守りつつ表現をする。
言論の自由もほぼ無く、
情報も制限や制御され、各々がとことん情報を追い続けない限り何が正しい情報なのか分からない。
今まで正しいと思っていた報道も、様々なバイアスがかかり調整されている。

背中を見て覚えろ。感じろ。
確かにそうだ。
ただ、それで感じ取れる人達はこの時代にどれくらいいるのだろうか。
ただでさえ制限がかかっているのに。

拳を使い、
言葉の制限もなく、
思うように伝えられていた時代の背中を見て覚えろと、今の時代の背中を見て覚えろもまた違う。

自主性を促し、どれだけ自分ごととして捉えられるのか。
受動ではなく能動へ。
それが重要であるのに、なかなかその道へいけない現実。

伝え辛く、伝えてこられなかった世代が今まさに本当は伝えるべき立場になり始めている。
幼い頃から制限がかかり始め、
教わりきれなかった人達が自主的に教えられる、伝えられるのだろうか?
そして幼い頃よりもさらに制限がかかっている中なおさら伝えづらいわけだ。

誰かに教わることが全てではない。
自ら気付かないといけないこともたくさんある。

自ら気付きやすい時代と、そうでない時代の背景は必ずある。
今は圧倒的に気付き辛い時代。
伝えてこられなければ、周りにもそのような人が皆無に近い。

どうやって自家発電がこれで動くのだろうか?
よっぽどの感の良い人だけ?
たまたまそのような環境に育てば?

個人的にはあまりにも不親切過ぎると思うし、
これでは良くなっていくイメージが一向に湧かない。

ではどうしていくか?
ここからが大事。
決して諦めてはいけない。

色々を気付いた者だけが得?(ここでは分かりやすく得という)は、残酷な世界だと、ふとした時に思う。

残酷な世界を乗り越えていくための現状把握と対策を。
今の時代にあった、ではなく、
今だからこそのやり方が必ずしもあるはずだ。

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