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疑うこと

202日目

誤解されがちだが、
悪い意味合いでの解釈は抜いて欲しいことが疑うである。

不審に思うことや、
本当かどうかを怪しむほうの捉え方ではなく、
ただ真に受けることをせずに、疑問に思うことが疑うこと。
疑問に思わないとは、非常に簡単で楽。
面倒でもなければ疲れない。
それは考えなくていいから。
なんで?と思ったとしても、流しておいたほうが時間もかからなければ余計なことも気にしなくていい。
確かにそういう時もある。
ただ何故?という気持ちが無ければ、調べることもしなければ、追求したりも出来ない。

何故そのような問題になり、
何故そのカタチになっており、
何故その判断をし、
何故解決していかないのか。

何故?が無いと、
いいようにいいように丸め込まれ、言いくるめられてしまう。
不思議なことほど、
一見分かりづらいように、それっぽく済まされていることがたくさんある。
何故?と突かれなければ、適当に誤魔化せることなど山ほどある。
それは制度やルールの話でも、人間関係の話でも色々に通ずる。
偏屈な疑いはよくないが、
健全な疑いは全く問題ないと思う。

あまりにも疑う人が少な過ぎ。
少しでも疑うことをしたら、なんだこいつはと、
特に日本人の気質として、そう思われたくないという気持ちが発動し、疑問に思っても蓋をするようになる。
そして蓋をし続ける人達が増え、疑問に感じる人が変に目立つようになる。
知らないだけで、
うまくやられていることほど疑問に感じるべき。

再度の話になるが、これは常に他人を疑えという訳ではない。
疑問に感じ、行動しないでいると、
いいように済まされることがあるということを分かっておいて欲しい。ただそこに尽きる。

良いことも悪いことも、コトには必ず原因、理由がある。
それを疑問に思うことが大切だということ。

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