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自己防衛

164日目

護られているという暗示はほぼ捨てたほうがいい。
自分の身は自分で護るという意味での自己防衛。

護られていると錯覚してしまうと、
それが破られた時に護ってくれなかった誰かや何かのせいになってしまう。
そして護られているという安心感をさらに上回る必要以上の感覚が、自己防衛の意識を妨げる。

護られないこと。
安全、保障、待遇など多岐に渡る。
年金制度も無くなるかもしれなければ、
退職金も払える企業は少なくなってくるだろうし、
天変地異が起きても助けに来てもらえるか分からない。
病を患ったとしても、必ずしも素晴らしいお医者様と巡り会えるかは分からない。
仮に戦争が起きたとして、誰がこの国を護ってくれるのか?

悲観的な話ではなく、
現実とどう向き合うかの話。

これら全て大丈夫だろうと、
どうにかなるだろうと楽観することも可能だが、
楽観したところで、何か起きたあとは手遅れになる。
何もなければ特に身構える必要はないかもしれないが、
何もないことのほうがおかしい。
何か起きてから考えるのではなく、何か起きても咄嗟に次の行動にうつせるように平和ボケしすぎないほうがいい。

護られている側にいると、
いつか護りたい人、護りたい何かを護れなくなる。護られている側だから。
少しずつ少しずつ、護れる側になれるように。これも日々の積み重ね。


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