「87歳 要介護2」の母。私ができること(戦争体験投稿叶う)
もはや昔の母ではなくなっている。
しっかり者だったのに近頃は物忘れがくひどく、耳も遠くなりました。
今年の春に要介護2の判定をもらいました。
でも口は達者で時々ちょこっと憎まれ口を言う。
それで、こちらもついガミガミ言いたくなる。
そんな時は読み人知らずの手紙《親愛なる子供たちへ》を読みかえす。
これを読むと育ててもらったくせに、認知症の母に文句ばかり言っている自分がすごく悪い奴に思えてきます。
反省して「よし、あしたからもっと優しくしよう」と決意するのですが少し時間がたち、母が可愛くないコトを言うと、倍にして言い返してしまう。
後から自分を責めたり「親への愛情は持っているから、これでいいよね。親子だし。」と自分を正当化したりする。
優しくしたり怒ったりしながら終わりに向かって時が過ぎています。
自分の老いて行く姿を見せて「親としての最後の役目」を果たしているのだろう。
私はお金もないし十分な親孝行はしてあげられていない。
それに、昔から『子供に迷惑をかけたくない』と言い、何をもらっても喜ばないし必ずお返しをしようとする。
でも、子供からしたら素直に受け入れて喜んでほしいとずっと思ってきました。
残された時間はもうあまりないんです。そこで、何かできることはないか?と考えました。
そういえば母は自分のことをいつも卑下していて『もっと勉強しておけばよかった。』とよく言っていた。
その理由は、親兄弟が教師(寺院)ばかりで、自分が中学しか出ていないことや、家族に進学をかなり勧められたのに、勉強嫌いで言うことをきかなかったらしく、その事を今でも後悔しているみたいだった。
加えて今お金の管理や、草むしり、洗濯掃除、料理、何も出来なくなった自分を情けなく思っていた。
私は何度も母の良いところを伝えましが劣等感を払拭することはできませんでした。
少しでも母の自尊心をあげることはできないか。「そうだ!新聞の読者欄に投稿したらどうか」と思いついた。
理由は何かひとつでも称賛を浴びる体験をしてほしかったからです。
とは言え、果たして要介護2の母にそれができるのか?
いやいや、今でも「戦争体験」のことはよく話しているし、昔から手紙の文章はうまかった。とりあえずやってみよう。
「結晶知能」に賭けよう!!
はじめは新聞投稿を嫌がっていましたが「お母さんには戦争を知らない世代の人に、その辛い体験を伝える使命がある! やってみようよ。」と繰り返し伝えました。
すると、『やってみようかな』と言い出した。
文章の書きはじめは断片的な情景だったが「その時の気持ちはどうだった?」と質問を繰り返すと、かなりリアルなものになった。
しかも、その文面には戦争当時の季節感や、色や、匂いがした。厳しい戦時下の生活でも小さな幸せを見つけて暮らしている様子がよく分かった。そんな時代を生きてきた、母をあらためて尊敬した。
完成した文を母が音読してWordに音声入力。(この文明の利器には気づいてないようでした)
少しだけ手直しして新聞社の受付フォームに投稿完了。文字にして400文字。
それから一ヶ月『新聞に載らんねー。やっぱり私はダメやね…。』とまた負の言葉をウダウダいうので逆効果だったかなと思っていたら、その数日後なんとか読者投稿欄に掲載されたのです。
『本当に嬉しい。書いてよかった。』と子供みたいに大喜びしていました。
珍しい、心底喜んでると思いました。
何歳になっても、物忘れがあっても、要介護でも《認められること》は喜びなんだ。そして可能性はゼロではないと感じました。
その後も新聞投稿を続け3つの作品が掲載されました。もちろん、とても喜んでくれました。
まだ恩返しは足りないけど、こうしてあーでもない、こーでもないと言いながら同じ時を過ごすことに意味があるのだろうと思う。
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