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NFTアートとかNFTとかにあまり興味を持てなさそう、という気持ちについてのまとまらない雑感

NFTにあまり興味がない。

と、ひとことで済む話をもう少しだらだらと書いておきたい。数年後に自分で見返すために。そういう、気持ちを書き残しておく、という性格の文章なので、「NFTとはこうだ」みたいなことをわかりやすく説明したりはしない。そういうのを期待する人は本とか読んでください(他力本願)。あと、そもそもNFTのこともNFTアートのことも2%くらいしかわかってないので、間違ったことを言ってたらすみません。

もうひとつ念のため書いておくと、NFTやNFTアート自体をディスる意図は特にないです。今のところ、そこで起こっていることは面白いと思うけど、単に自分の興味の方向と合わなそう、というだけです。

と、なんか前置きが長くなってしまったけど、とりあえず本を2冊読んだのでまずはそこから。

美術手帖2021年12月号 特集「NFTアートってなんなんだ?!」

ツイッターでわかりやすいと評判だった本。念のため書いておくとこれは「NFTアート」にフォーカスしたもので、「NFT」についてではない。なので、「NFT」について書かれた本を読むと、そのニュアンスの違いに面食らうことになる。詳しくは後述(というか、これがこのブログで書きたいことのすべてだったりするけどそれも含めて後述)。NFTアートの様々な例が紹介されていて、けっこうNFTアートについての見方が変わった。おすすめです。

この本で一番勉強になったのは、「NFTアート」と「クリプトアート」は違う、ということだった。

「NFTアーティストと呼ばれることは、どう思いますか?」
「呼称については現在、クリプトのコミュニティのなかでも議論されていますが、ここでは、クリプトアーティストとNFTアーティストという呼称には明確な違いがあると考えられています。
(略)
われわれはクリプトアーティストと呼ばれることを望んでいます。それは、アーティストとして、この芸術のパラダイムシフトの一部になることを名誉に思っているからです」

美術手帖2021年12月号 50ページ

ここで「クリプトのコミュニティ」とは、ブロックチェーンが芸術のパラダイムシフトを起こす、つまり、既存のアート界の価値のパラダイムをぶっ壊してくれる、という熱狂を共有する人々、みたいなものらしい。しかも、ブロックチェーンなら何でもいいわけではなく、そこには「クリプトの文脈」があり、哲学が求められる。

これはまた別のアーティストのインタビューだが、企業が独占するプライベートチェーンは不純なもので、パブリックチェーンでなければクリプトではない、という信念が強い調子で語られる。

「もっともわかりやすいクリプトの文脈とは、だれでもアクセスできるパブリックチェーンに記録されていること。
(略)
これまでの美術史を振り返れば、政府や宗教団体といった組織が自分たちに都合の悪い作品を検閲してきた。それによって表現が消されてきた歴史があります。ただ、このパブリックチェーンに情報が刻まれていれば、誰も消すことができない。そこがブロックチェーンという技術のいちばん大きな意義だと思います」

美術手帖2021年12月号 76ページ

(ちなみに、最後の「誰も消すことができない」は間違ってる気がする。ブロックチェーンに刻まれるのは取引だけで、(ほとんどの場合)作品そのものはそこには刻まれていないはず…、だが、本筋ではないので脇に置く)

こういう思想的な結束を下敷きにして、NFTアートというのは成り立っている。なので、この本に出てくるアーティストの多くは、NFTアートへの投機的な資金の流入を否定的に見ている。あるいは意に介していない。NFTアートは、そこに資金が流入しているから価値があるわけではなく、コミュニティ内での尊敬に裏打ちされているから価値がある。NFTアートの価値というのは「コミュニティの中での尊敬」という揺るがないものであって、落札価格は単にその価値が数値化されただけに過ぎない(特集担当のインタビューの14:30~あたりでもそういう話が出てる)、みたいな世界観があるようだ。

やや脇道に逸れると、「コミュニティの中での尊敬」というのを聞いていくつか腑に落ちたことがある。例えば、よく「NFTアートを「所有」できるのか?」という論争があるけど、たしかに法律的には所有権はなくても、「所有」というのを「それを手にすることが社会的に承認されている状態」みたいなものだと捉えれば、たしかに実質所有してると言えるのかも、と思った。

逆の例を挙げると、「元データをコピーして勝手にNFTアートとして売り出せちゃう」という問題は、契約上は成り立っていてもコミュニティに承認されていなければ勝手に「所有」はできない、と捉えられる。実際、コミュニティで有名な作品はコピーされて売り出されてもすぐに通報されるはずだ。こう考えると、デジタルデータなので人為を介さないシステムがすべてを仕切っている、と思いきや、意外と土着的なパワーによって成り立っている部分が大きいような気がしてきた。

問題は、土着的なパワーはスケールしない。コミュニティによって成り立つものは、せいぜいコミュニティが見通せる範囲でしか健全に動かない。しかし、(NFTアートはともかくとして)NFTが扱おうとしている規模はかなり大きいので、そこではかなり違う世界観が広がっている。カルチャーショックを受ける心の準備ができたら次の本を開こう。

NFTの教科書 ビジネス・ブロックチェーン・法律・会計まで デジタルデータが資産になる未来

1章はNFTの活用事例で、キラキラした話が続く。2章はいきなりトーンが変わってNFTまわりの法律の話が淡々と語られて、そのギャップがすごい。3章は未来の話で風呂敷を広げまくる。「教科書」と標榜するだけあって、事例はかなり網羅されていて参考になる。

1章に出てくる事例は面白いもの面白くないもの様々だが、主に

  • NFTアート

  • NFTゲーム

  • メタバース

  • スポーツ

  • 音楽

での活用例が紹介されている。個人的に面白いと思ったのをいくつか挙げると、Socios.comは、サッカーやeスポーツ、格闘技などのチームの「ファントークン」を販売している。このトークンを所有していると、チームの意思決定のための投票やファン限定イベントに参加できたりする。

音楽関係では、楽曲がNFTが販売されている。サブスクサービスがアーティストが暮らしていけるだけの収入源にならない、と批判されている中で、ファンが直接アーティストに貢ぐことができる手段は重要だ。かつてはそれがCDやライブグッズで、コロナ禍の中ではBandcamp?という感じだったけど、こういう形もありかもしれない。

このように、ファンビジネス・ファンサービスにNFTが活用されている例が数多く存在する。そこにはとても可能性を感じる。NFTがあろうがなかろうがファンビジネスというものは存在し、経済を回しているから。

さて、ここで美術手帖の特集の世界観を思い出してみよう。ぜんぜん違う。あっちは「コミュニティみんなで価値をDIYしていく」みたいな話だったけど、ファンビジネスは明らかにそうではない。もちろん、そこにファンコミュニティはあるけど、コミュニティの上に価値の源泉(スポーツ選手だったりアーティストだったり何らかのIPだったり)があり、価値が流れていく仕組みを作る人がいる。上流があり下流がある。フラットな関係性ではない。(そしてたぶん、NFTである必然性もないのでは?、という予感がしてるけどそこはまだ理解が追い付いてない…)

どっちがいいかという話ではないけど、とにかく別物だ、というのがこの2冊の本を読んだ学びだった。

この辺の世界観を意図的に混同させてくる語り口には気を付けた方がいい。たとえば、Web 3というバズワードはdecentralizationを掲げるけど、この「教科書」で見たように、NFTのメインストリームの使われ方はめちゃくちゃ中央集権的になる。「これからはWeb 3の時代なのでNFTやりましょう!」とか言ってくる輩は無視しよう。

感想

NFTに面白みを感じるかというと、まず、価値の流れを作るのに興味がないのでたぶん感じない。

では、NFTアートはどうかというと、こっちもちょっと守備範囲と違う気がしてる。美術手帖の特集の座談会で真鍋大度が

いわば「コントラクト芸」ですよね。

美術手帖2021年12月号 125ページ

と言う場面がある。これが一言で色んなことを言い当てていて恐れ入った。コントラクト、というのはスマートコントラクトという仕組みで、NFTが取引されるたびに自動で実行されるプログラムを仕込める、というものらしい。ここにどういう面白いものを仕込めるか、NFTやブロックチェーン自体でどう遊べるか、ということがコミュニティの中で評価される。

だいぶ高度な遊びだな、と思う。話を聞いてる分には面白いけど、自分がそこに関わりたいか、そのコミュニティの一員になりたいか、というと、そこまでの気は起こらない。たぶん、おれが興味があるのは「既存の価値をハックすること」であって「新しい価値をつくること」ではないんだろうなあ。

まだまだ考えはまとまらないけど、正反対の本を読むといろいろ考えるポイントが見えてきて、いい勉強になった。

(カバー画像: https://flic.kr/p/ea24um

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