中村佳穂 - AINOU

12月のライブのチケットを取って、そういえば年に3回も同じ人のライブに行くのは初めてだと気付いた。これはもう、恋なのでは?みたいな気持ちにもなる。

1回目観たのはたまたまだった。今年こそは、と思って弾丸日帰りで行ったMINAMI WHEELで、この時間特に観たいやつないなーと思ってた時に「中村佳穂」という名前をタイムテーブルに見つけた。なんか聞いたことある気がするけど思い出せない。思い出せないけど聞いたことがある気がして気になる。

というときに、思い出せないからまあいっか、となるか、気になるから観とくか、となるか。どっちに転ぶかは気分次第だけど、その時の俺は超絶に体調が悪く、こんなに体調が悪いのに来たからには元を取ったるんや、こんな機会じゃないと観れなそうなやつを観る!という気分になった。観た。同じ体調不良なら踊らにゃ損損。

で、観たらライブがすごかった。中村佳穂の紹介を読むとだいたい、

即興性が高い

みたいなことが書かれてるけど、高いなんてもんじゃない。ほんとうにこの人はライブをするために生まれてきたんじゃないか?というほどにMCと演奏の境目がない。そしてめっちゃうまい。だから、最後のMCで「アルバムが出る」と言ってるのを聞いたとき、ほんとにこの演奏がアルバムに納まるのか?という半信半疑な気持ちになった。

はたして、と思ってたけど、インタビューを読みながらアルバムを聴いてると色々しっくりくるものがあった。

曲を書くという行為って、どこにもない感情を、「こういう感情」って、ある種言い切ってしまうことなんです。ふんわりしているときのほうが近いように感じていたのに、言葉にしちゃうと、その感覚を自分のボキャブラリーで囲むことになる(https://www.cinra.net/interview/201811-nakamurakaho
パッケージングすることで遠ざかってしまうかもしれないけど、パッケージしないと消えてしまう感覚というか。(https://www.cinra.net/interview/201811-nakamurakaho

いま中村佳穂を聴いてて面白いと感じるのは、曲の中身よりも、感情を言葉というフォーマットに、音楽を曲という鋳型に、どうやって入れ込んでいくのか、みたいなメタな部分が、その葛藤がにじみ出ているところのような気がする。それはどんなライブよりもライブ性があって、もうちょっとこのまま悩みながら見ていたくなる。「消えてしまう感覚」だとしても。

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