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「日本語の作文技術」を読み返したくなったときは何かがおかしい。

「日本語の作文技術」は、戦略ではなく戦術の本だ。

戦術でがんばってはいけない。戦術で劣勢をひっくり返したい、と思うときはたぶん戦略がおかしい時なので、戦略を見直した方がいい。

という比喩で何が言いたいのかというと、この本は「文章の変更はもはや、順序の入れ替えや同じ意味の語句への置き換え程度しか許されない」という極限状態で、「語句の順序や句読点や漢字ひらがなの使い分けでどこまでがんばれるか」を追求するサバイバルガイドみたいなものなので、まずは本当にそこまで追い詰められているのか考えた方がいい。

もちろん、そういう時もある。たとえば、ツイッター中毒の人が、どんなに語句を削っても140字ギリギリにしかならない文章を1つのツイートに押し込めたい時。ここで戦略を見直すというのは、ツイートひとつの話に留まらず、ツイッターをやめる、すなわち人生を見直すという事態にすら発展しかねず、危険が危ない。そういう厳しい文字数制限に人生をコミットしている、していきたい場合はこの本を手に取るべきだろう。この本の筆者は、元新聞記者なので、実際、苛烈な文字数制限と戦ってきたのだと思う。

でも、たいがいの場合、文章は分割できる。あるいは要約・省略できる。書き足すこともできるし、書かないこともできる。文章全体の流れを変えることさえできる。たいがいの場合、あなたはあなたが思うよりも自由だ。

ある一文をなんとかしたくなった時、その一文の中にも改善の余地はあるけど、たぶん文章全体にはもっとある。そもそもその一文になぜこれほどの語句が押し込められてしまうのかを疑った方がいい。どこかで言い足りてないからではないか、すでに言ったことの繰り返しで不要な部分が入ってないか、話の流れがおかしくないか、とか。その一文をいじくりまわすより文章全体を直した方が簡単なことは多い。

そんなわけで、「日本語の作文技術」に書かれていることは圧倒的に正しいけど、書こうとしている文章の規模からするとその正しさのスケールは取るに足らないかもしれない。この本に泣きつきたくなった時は、俺の文章そもそもおかしくない?ということを疑っていきたい(自戒)。

文章の戦略についての本としては、「大人のための国語ゼミ」がいいような気がしてるけど、また時間を置いて振り返りたいところ。

(見出し画像: https://flic.kr/p/odJDWZ

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