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①HSPで友達ゼロだった私の留学奮闘記~中学時代~


混ぜるな危険

HSPとADHD…混ぜてはいけない2つの特性を持って生まれてしまいました。

人生の時系列順で、
中学校からHSPですごく悩んでいた過去を振り返っていき、また後の投稿でADHDの過去も投稿していこうと思います。

自身のHSPのエピソードでは、友達がほぼゼロだった自分が留学などの大きな挑戦により
どう変化していって乗り越えたかをかいていこうと思います。

まず、自分がHSPだなと感じ始めたのは、中学生のころからでした。
人が怖くて中学校時代友達はほぼゼロ!
友だちがいなさ過ぎて、休日どこにも遊びに行かない私に対する
両親の視線から逃れるため、自転車で何時間もかけてずっと遠くまで冒険したのを覚えています。(田んぼが綺麗でした。。)


私が特にしんどかった事は、主に3つあります。
①人の雰囲気、表情、言葉の裏側を敏感に感じ取ってしまう。
→大人数でいる時、人間関係の裏側が見えてしまい、どう接しようか気を使ってしまうので気疲れよくしがちです。

人間関係に疲れやすい

②他人との心の境界線が薄く、負の感情・周囲の状況・人の言動をダイレクトに心で受け止めてしまう。
→怒りっぽい人、威圧的な人、言い方がキツイ人、気が強い人が大の苦手です。。好きな人はいないと思いますが、「まあ、そういう人」という風に割り切れないのです。話してなくても、そばにいるだけでびくびくしてしまいます。これは、気持ちの問題で解決できる話じゃないですよね…普通の人がコンクリートの分厚い心の壁を持っていて、風も水もせき止めるのに対し、うすーいガラスの壁を割って流れ込んでくる水のように受け取ってしまうのですから。。

心の境界線

③物事を深く考えすぎてしまう。自分の発する一つ一つの言動が相手にどう受け取られているのか不安で仕方ありません。LINEとかメールを一つ返すにしろ、長い時は一週間くらい悩んでしまいます。職場でも、ちょっとしたメモとかメールに失礼に聞こえないか、言葉遣いはあってるかとか考えすぎて時間がすごくかかります。先延ばしにしてしまった結果怒られたりも。。(しまいには、文章考えるのの苦手?と聞かれる)

そして、学校からの帰宅後の脳内反省会は毎日開催されていました。
教室でぐったり、家でもぐったり。
お布団に入ったときには、涙が毎日止まりませんでした。
何が悲しいかというと、本当の自分はこんな風におとなしくなかったからです。
うちでは毎日妹とふざけ合って、さわがしくて頭のおかしい本来のいきいきした自分をうまく学校で表現できないことに対して悔しくて泣いていたのです。自分の出し方が分からない。表現しようとしても、変に緊張して空回ってしまう自分が情けなくて恥ずかしかったんです。そのトラウマがさらに自分を殻に閉じ込めさせ、変に思われないかに必死に神経をとがらせてました。そして、孤独に泣いてました。

こういう気質をもっていない人に相談したときに、HSPさんが必ず聞く言葉オブザイヤーって「考えすぎ(笑)」じゃないですか??
当時担任の先生にも、「もっと強くなれ!」「気にしすぎ暗い!」と言われて先生のマイ給食のはし箱で軽くたたかれてました。
もうそういう問題じゃないのにー泣

こんな自分が嫌で嫌で、自分を変えることに決めた中学2年生
イギリスに1週間滞在して、協定校に学校の代表として訪問する「英国派遣団員」に応募しました!

プログラムの内容としては、市内の各学校の代表たちが、イギリスの協定校に出向き日本文化を伝え、イギリスで学んだことを自分たちの町に還元するというものでした。

選考方法は作文に面接、仮に合格したら全校生徒の前で決意表明、イギリスでは大勢の前で日本の文化についてのプレゼンテーションと当時の私からしたら気が狂うようなイベント盛りだくさん。
けれど、英国派遣団員としてイギリスで活躍していた先輩たちをビデオレターで見たとき、本当に楽しそうでキラキラしていました。
帰ってきた先輩方が言う、「消極的だった自分が変わった」というメッセージ。

当時英語のテストは30点で超絶コミュ障な私でしたが、
「絶対に私も行って、自分を変えたい!!」と思い立ち、全ての試練を乗り越える覚悟で、作文でも、面接でも行きたい気持ちをありったけぶつけました。

結果は無事合格!奇跡すぎます。。
あまりうれしさを表現しない父が合格届を見せた瞬間、膝から崩れ落ちて喜んでたのを思い出しました笑

イギリスへ旅立つまでの準備期間中
同じ派遣団同士でのグループワークや他中との交流は、コミュ障の私にとって大変でしたが
少しでも学校にいる自分とは違うように振舞ってみよう、自分を出してみようと自分の殻を破る実践をしました。
イギリスでも、初めて見る海外の生徒を前に同じ努力をしました。
(また、イギリス生活の詳しい話は別の記事で書こうと思います。)

海外の独特な香り、街並み、食べ物、雰囲気どれもが新鮮で
大変なことの方が多かったのですが、なぜか癖になる経験でした。
初めて自分の英語が通じた瞬間、色んな人種の人たち、空気感、そのすべてが自分のわくわくへと変わり、高校をきめる選択の大きな材料になりました。

結果、ほんの一週間で完璧に人格を変えることはできませんでしたが、
英語・海外の魅力に気づくことができ、また「自分を変える!」という
ドM志向を胸に、今度はニュージーランドへ留学する制度をもつ「英語留学コース」がある高校に入学を決めました。

この時の中学の経験が、後々に人生を大きく左右する出来事につながることは知る由もありませんでした。。








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