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自己紹介

役職
新富町役場 総合政策課 地域おこし協力隊
一般財団法人こゆ地域づくり推進機構 ブランド推進室室長(非営利団体)

SNS
facebook: https://www.facebook.com/yutanakayama999
twitter: https://twitter.com/yn_999
instagram: https://www.instagram.com/nkymar4

HP
https://koyu.design
(↑こちらは新富町で制作した映像作品がメインになります。写真の作品はInstagramをメインに発信しております。)


プロフィール
世界を旅したローカルクリエイター。

1993年熊本県生まれ。フォトグラファー&映像クリエイター。
私立ルーテル学院高等学校卒業。鹿児島大学教育学部英語専修卒。
学部四年次に1年間休学して世界一周自転車の旅に出る。南極以外の五大陸に足を運び、訪れた国は24カ国に及ぶ。
帰国後世界一周中に記録用として撮っていた映像を見返して、映像制作に興味を持ち、独学で映像を学ぶ。
その後、『世界一チャレンジしやすい街』をスローガンに掲げる地域商社「こゆ財団」に興味を持ち、大学休学2年目となる2019年5月に宮崎県児湯郡新富町に移住を決心。
こゆ財団のメディア担当として従事後、2019年8月に新富町地域おこし協力隊に加わる。

協力隊就任後も、地域の魅力を世界へ発信すべく町内いたるところへ取材撮影に出向き、その模様をSNSで発信活動を続けてきた。
2019年11月には新富町町制60周年記念式典のオープニング映像を制作。2020年3月にはこゆクリエイティブデザインスタジオを設立し、現在もこゆ財団のブランド推進室室長として、ふるさと納税や地域の観光体験に関わるクリエイティブ業務を担っている。

2021年1月現在、新富町地域おこし協力隊2年目。1年目で築いてきた街との結びつきを生かし、さらなる飛躍を目指しながら、日々大好きな新富町の魅力を発信するために東奔西走している。


作品メディア掲載
TV: NHK、MRT、UMK
Web: Forbes Japan
雑誌: じゃぱとら    など


年詳細
1993年
熊本県熊本市生まれ。実家は1870年代創業の老舗料理屋「田楽家」。

2014年
鹿児島大学教育学部英語専修入学。

2017年
大学休学を決意し、夢だった世界一周自転車の旅に出る。

2019年
一般財団法人こゆ地域づくり推進機構に所属後、新富町役場総合政策課地域おこし協力隊となる。

2020年〜
新富町地域おこし協力隊として働く傍ら、こゆ財団をはじめ、県内外の企業や自治体、個人ともお仕事をしている。


プロフィール写真


ストーリー

私は、1993年熊本県熊本市で生まれ、高校卒業後の浪人時代まで熊本で育ちました。実家は1870年代創業の老舗料理屋「田楽家」を営んでおります。父中山博文は五代目として現役です。


根っからの野球少年

男三兄弟の末っ子で、幼少期の頃からなにかと兄たちに対して負けず嫌いで育ちました。小学3年時に野球を好きになり、将来はプロ野球選手になろうとずっと夢みて練習に励んでいました。高校では私立の野球部に所属し、これまた負けず嫌いが高じて、最終的には3番を打つまでに成長しました。
大学では野球をやめようかと考えていましたが、進学後結局準硬式野球部に所属しキャプテンとしてプレーしていました。

大学は鹿児島大学教育学部英語専修に進学。浪人時代に出会った恩師の影響で教師になろうと思い教育学部を選択しました。


大学に進学してから

大学入学後はアルバイトと部活に明け暮れ、いざという勉学は、とにかく最低限単位をとれればいい、という低いモチベーションの中過ごしてきました。このまま教師として社会人になっていいものかと、生きた心地のしない毎日にモヤモヤする日々。

そして大学2年の終わり頃、新しい刺激を求めて海外留学することを決意。せっかく留学するなら長年の夢であった世界一周の旅をしたいと思うようになりました。海外留学というよりは放浪ですね。

どうして世界一周だったかというと、地図帳好きな父の影響(日本地図や世界地図は常に料理場の近くにあり、何かがあると、取り出しては調べていたりしました。)で、幼い頃から地図帳や世界遺産の写真を眺めていて、いつかほんとに行けたらどれだけワクワクするんだろうと思っていたからです。


世界一周を夢みて

目的が定まったら、あとは資金繰り。部活は3年のはじめには引退し、居酒屋、塾講師、お茶工場での3つのアルバイトを掛け持ちしながら一年間で約150万円を貯めました。
家族や親戚からは最後の最後まで旅に出ることを反対されていましたが、貯金残高、さらに最初の目的地であったタイ行きの航空券を見せてようやく諦めついてもらいました。


世界一周に出てから

あらゆる人種、土地、食べ物、文化、アートに触れて「こんなに地球は広いんだ!」と直に感じてきました。
しかし、ほんとにどこへ行ってもトラブルだらけ。人間不信になるほど怖い目にも遭ったし、ほんとに散々でした笑


さらに自転車の旅でもあったので、一日中走った後に、野宿先を確保したりなど、いろんなことにメンタルをすり減らす毎日でした。
ブログやSNSでは心配されないようにキラキラした元気な姿を取り繕っていましたが、「なんでおれはこんなことをしているんだろうか。」と一人寝袋の中で泣いたこともありました。


それでも生きている心地がする

これが何より旅の原動力になっていたものです。一日平均120km自転車を漕ぎ、汗臭い服を小川や公園の水で洗濯し、スーパーで一番安い食パンを買ってジャムやピーナッツバターを塗って食べ、寝袋にくるまって寝る。大学に入ってからモヤモヤしていた日々に求めていた生きた心地というのはまさしくこれなんだと感じました。


旅を終えて

南極以外の5大陸、計24カ国に足を運びました。自分の常識、日本の常識が世界の常識ではないこと、多様な人種・社会がこの世界をつくり上げていることを知りました。東南アジアの遺跡、アフリカで見た砂漠、パタゴニアで見た氷河、、地球はこんなにも美しいものかと。世界一周が私にくれたものは自分自身の中に眠る好奇心と豊かな感受性でした。
帰国してすぐ成田空港トイレの温水洗浄便座が温かくて感動したのを忘れられません。(日本はめちゃくちゃ恵まれているなと)


ここからが本当の旅のスタート

帰国後、これからのキャリアを考え、好きなことで生きていきたいと思い、コーヒーメーカー(コーヒー好きが転じて)に内定をもらい社会人になる予定でしたが、必修単位を一つ取り忘れて留年することに。さすがに辛かったですが、本音を言うと、どこか妥協した感じで就活を終えており、毎日きちっとスーツを着て、満員電車の中出勤できるのかなと不安な気持ちがありました。
そんな時に神様が「君のフィールドはここじゃないよ」と留年というカタチでストップをかけてくれたんだなと本気で思っています。(いまなにより仕事もプライベートも心から充実しているので、ほんとに留年して良かったなて思っています。)


世界一チャレンジしやすい街へ

大学に残ることにはなりましたが、授業もほとんどなく休学することになり、そこで地域おこし協力隊の制度を利用して、住んだことない街に移住しようと決心しました。最終的に絞ったのが石川県加賀市と宮崎県新富町。最後は、「世界一チャレンジしやすい街」をスローガンに掲げている新富町に行こうと決めました。
これといった取り柄もなく、何者でもない私でしたが、何かしらチャレンジできるのかなと、好きだったカメラを片手に移住。ただ当時はカメラスキルも素人レベル。


イエスマンになる

社会人経験も全くなく、(Google)ドライブというワードすらも何だっけ?となるほどでしたが、お願いされたことはとりあえず「やります」とだけ伝え、とにかく社会人としてもカメラマンとしてもできることを増やしていきました。
その後もずっとイエスマンでいたことで、人間関係も構築され、撮影のお仕事もどんどん増えていき、いまではさまざまなメディアで僕の写真や映像を使っていただけるほどになりました。


世界を旅したローカルクリエイターとして

地方には世界で通用する魅力がほんとにたくさん転がっています。そんな魅力を世界に発信したいという強い想いで、日々新富町をはじめとする農家さんや事業者の皆さまを撮影させていただいています。これまでは世界一周の旅で幾度となく感動体験をさせてもらいましたが、これからは心を動かす地域の感動を世界へ発信するローカルクリエイターとして活動して参ります。


好奇心と感動をシェアする場としてのnote

noteでは、これまでの経験やノウハウ、培ってきたスキル、大切にしていることなど、より多くの人にシェアしたいと考え、情報発信をしていきたいと思っています。
まだまだ地に足つかない27歳ではありますが、日々の感動体験を少しでも共有できたらと思いますので、今後ともご指導ご鞭撻のほど、どうぞよろしくお願いいたします。


最後までご覧いただきありがとうございました。




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