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ユタラボ New Face|藤岡篤司さん

今年度4月から新たに職員としてユタラボに入社した藤岡篤司さん(あっくん)。今まで地域福祉や国際協力などに広く関わってきた。そんな藤岡さんがなぜ、どんな想いを持って益田市・ユタラボにやってきたのか。藤岡さんの過去や体験などから紐解いていく。

自分が「生きている」と感じられる場所を求めて

ー幼少期から学生時代・前職ではどんな生活を送っていたのですか?

出身地は福井県であるものの家庭の事情により転勤が多く地元と呼べる場所は特にありません。卒業アルバムには自分が写っていないということが普通で、さらに高校時代には認知症の祖父母との同居・介護が始まり、家に自分の居場所はありませんでした。自分の生きてきた記録もなく、みんなの記憶の中にもないという状況から、自分はいったい何者で、この状態は本当に「生きている」と言えるのだろうかと考えるようになりました。
その後、福祉系の大学で心理学を学んだものの、周りの環境に流されてみんなが就職するから自分もするという感じで福祉施設に就職しました。しかし社会の歯車として埋もれてしまっていると感じ、自分の生きてきた記録もなく、みんなの記憶の中にもない中でのこの状態は「死んでいる」状態と一緒なのではないかと思い、「人のためになることをして社会から認めてもらいたい」と、外に飛び出しました。
そしてたどり着いたのがフィリピン。その中でもデータ上はとても貧困だとされている地域での国際協力、実働2年半の活動でした。

途上国には「幸せ」があった

途上国で活動していると言うと、よく日本と途上国を比べて「日本は幸せだよねー」と言われます。たしかに日本は教育を受けることができて、飢餓には困らないかもしれません。しかし貧困地域とされているその場所に生きている人たちは、困難なことがたくさんあるはずなのに楽しそうに生活していたんです。本当の意味での「豊かさ」とは何か、貧困と一言でくくるのは違うのではないかと考え、自分自身の「生きる」ということと照らし合わせて「人のため」の仕事に真摯に向き合うようになりました。

ー益田市・ユタラボにたどり着いた経緯を教えてください

その後、実践として現地に特別支援学級を設立するとともに、実践だけではなく学術的なアプローチも必要だと感じ大学院へ進学。国際協力、NPOの活動、小中高でのキャリア教育、大学の教員、サードプレイス事業など、多様な仕事を展開。「子どもから高齢者の方まで、障害、国籍、性別…など関係なく誰もが活躍できる社会を創る」ということをテーマにして、仕事はあくまでも手段であるというスタンスで生きるようになりました。

「ひと」を大切にしているまち 益田

そんな中みつけたのが益田市とユタラボでした。
田舎と言われる地域をたくさん見てきましたが、その中には会社や学校を誘致したり、ネット環境を整えて森の中でも仕事ができます、といったことを打ち出し、人口戦略や経済を考えている行政も多くありました。決してそれ自体が悪いというわけではないのですが、僕としては元々住んでいた住民はどこに?と違和感を感じています。
そんな少子高齢化社会の日本で、益田市は「もの」ではなく「ひと」にフォーカスを当て、小学校の統廃合はしないという政策を打ち出したまちです。そして、ユタラボは自分のやってきたことと重なる点が多く、会社のためにではなく社会のために自分が行動できると感じました。益田はそんな「ひと」として「生きる」ことができるまちであり、海外で見てきた「幸せ」や「豊かさ」をこの場所にも感じることができました。

ー益田市・ユタラボでやりたいことはありますか

今までユタラボがやってきたことを大切にしつつ、新しい視点から僕の経験・知識を生かし、ユタラボのピースの一つにしていきたいです。多様な幸せのものさしをいろんな人に与えられる人になりたいですし、自分だけでなく周りの人たちも一緒に価値観や考え方を広げていければいいなと思っています。


職員の藤岡が加わり、ユタラボは13名で活動しています。

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