追憶の中で

後、100段程空中階段を登ったら辿り着く。やっと、やっと。それだけ目指して来たんだから。どれくらい歩いていたろう。20年、生まれてからずっと、不思議と疲れは無い。振り返ると大地や海などはすっかり雲に隠れて、どこから来たのか、どこにいるのかも怪しくなる。

…辿り着いた。そして、君はいた。ずっと探していた人。彼女は笑うでも無く、訝しむ様子も無く、僕を見ていた。やっと会えた。涙が止まらなかった。20年歩いて、僕の靴なんかとっくに塵になって風に消えて行った。上着は暑かったのでどこかで捨てて来た。殆ど裸の僕に、彼女は大きな白い布を1枚くれた。彼女も同じのを羽織っていた。

まだ言葉を交わさないのに、彼女は横を向いて水平線を眺めた。彼女の横顔は太陽に照らされて、何の曇りも無いはずなのに、長い睫毛の目には翳りが見え隠れしていた。僕はそれが悲しかった。「僕は君に会うために歩いて来たんだ。ほんとに、それだけのために。別に無理して来たんじゃないよ。夢を見て君に会える気がして、会いたくて。」

「あ、あの、私、私も誰かを待っていた気がするの。夢を見て、目が覚めたらここにいて、一体どのくらい寝ていたんだろう。あなたと会うのを約束してたみたいに、ほんのさっき目覚めたの。まだ何も知らない。あなたの事も、この世界の事も。あなたは私よりずっと起きていたでしょう。だから、教えて欲しい。」

「僕も君も死んでしまったよ。僕は北ベトナムから来た潜入兵士だった。南ベトナムに潜入してゲリラ攻撃を仕掛けて廻った。僕は民間人に扮装して、村々を駆け巡っていた。そんな中、南ベトナムの村で君を見つけた。君は美しかった。子供はまだ無い様で、家事を一生懸命こなしていた。ある時、君に声を掛けた。特に用も無かったので、ジャガイモを買う風にして声を掛けた。君はすぐに気づいた。そりゃそうだ、長年ここで暮らしていたら、村の人の顔くらい覚えている。震える手でジャガイモを僕に渡して、走って逃げていってしまった。僕は引き金を引いた。銃弾は10メートル先の君の太ももに突き刺さった。銃声で村の人々が出てきた。僕は身体中を蜂の巣にされて死んでしまった。」

「なぜ私より先に死んだあなたが、私の死を知っているの?」

「死んだら自分がどうなってしまうか知っている?成仏するまでの間魂が彷徨うんだ。この世も、この世かあの世か分からないところも。君の最後を見た。米軍のナパーム弾を浴びて一瞬で。君は死ぬ前に、僕のお墓を作ってくれた。君を殺そうとした僕のお墓。僕は君に会いたくて彷徨っていたんだ。」

「私、分からない。」彼女には話も難しい言葉も通じなかった。15才の少女は記憶も無い見たいだった。

「あっ、君にはあの地獄を思い出して欲しくない。ごめんね。変な話をしてしまって。君は分からなくていい。またこうやって話せただけで本当に良かった。僕と一緒に来てくれないか。」彼女はちょっと首を傾げた。「どこへ?」彼女は未だに死んでいないつもりの様だった。僕は彼女の手を握った。「一緒にここから離れよう。」

僕らは宙に浮く。不安そうな彼女をぎゅっと抱きしめると、「あったかい」と微笑んでくれた。君に記憶が無くて本当に良かった。体が光を纏った。指の先、足の先からゆっくりと消えていく。「寂しいけど結縁だ。」体の小さい君は微笑みながら泣いていた。僕もつられて泣いてしまった。未練なんか無い。南の君と話せていることが奇跡なんだ。

先に消えてしまう君は最後に言った。「生まれ変わったらジャガイモたくさん食べようね、泣き虫のお兄さん。」


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