漂白の思ひやまない父 ベトナム旅行の思い出
私の父は海外旅行好きである。世界地図を見て常に次はどこへ行こうか考え、行きたい国に関する本を読み、格安航空券を検索している。
旅行に向けてその地の歴史及び言語を勉強することもあり、出発の1年くらい前からそわそわとしている。まさに「そぞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねにきあひて、取るものてにつかず」な人である。そぞろ神も寧ろ、その熱心さに感心しているかも知れない。
ある年の年末年始、家族4人(父、母、弟、私)で海外旅行に行くことになった。私は社会人成り立ての頃で、弟も就職したら忙しくなるだろうということで、最後になるかも知れない家族旅行をしようと言い出したのはもちろん父だった。更には家族全員の旅行費用は父が負担するから、お金のことは気にする必要はないという。
弟はバイト先の店長に「家族でお正月に海外旅行なんてお金持ちね!」なんて言われたらしいが、「毎年お正月はハワイで過ごします〜」などというセレブな家庭ではない。
父が考えたのは、格安ベトナム縦断旅行。ハノイから入り、夜行列車で中部の街フエへ。フエからホイアンを観光し、ダナンの空港からLCCでホーチミンへ行き、ホーチミンから日本へ帰るという日程だった。一部現地のツアーや夜行列車のチケットは旅行代理店にお願いしたものの、ホテルの予約もプラン作りも、倹約家で几帳面な父がコツコツと準備を進めた。
価格を抑えて、でも行きたいところには行けるように、ガイドブックに付箋を貼ったりネット記事をブックマークしたりと、随分と準備を楽しんでいた。
私自身も、旅行に行く際の情報収集や準備をすごく楽しむタイプで、旅行先で行きたい場所や食べたいものを調べるのはもちろん、旅行鞄の中身を考えてパッキングするのも好きである。というか、旅行の楽しさは準備の段階から始まっていると思っている。
では、そんな準備万端に思える私達の家族旅行が計画通りにいったか?と言われたら、答えはNOである。
お腹の弱い弟は旅の前半はずっと体調不良だった。「ベトナムの列車は遅れるらしいから気長に駅で待っていよう」とのんびりしていたら、乗り遅れそうになり家族で走って夜行列車に乗り込んだ。フエのホテルはお湯のシャワーが出なかった。(東南アジアとはいえ冬のベトナムは地域によっては肌寒い)。ホーチミンで乗り込んだタクシーはメーターが違法改造されていてボッタクリにあった。家族でマッサージを受けた後、父が「財布がない」と慌てふためいた。実際にはただの父の勘違いでお騒がせした。
でも、その旅行がトラブルだらけで最悪だったかというと、そうではなかった。夜行列車を待つ駅で、不愛想なおばさんから買ったバインミーは温かくておいしかった。フエのホテルは、朝早くホテルに着いた私達に「お腹が空いているでしょう」と果物や食パンを出してくれた(”ウェルカムフルーツ”があるような高級ホテルではない。サービスとして出してくれた)。若いベトナム人男性がにこやかに日本語で話しかけてくれた(最初何かぼったくろうとしている客引きかと思ったことを申し訳なく思う。実際は以前日本で働いたことがあるという人で、日本を懐かしく思ったらしい。)
私達家族は何かアクシデントがあっても「まぁそういうことがあっても仕方ない」と受け止め、その都度対応した。それは、父が家族を楽しませようと準備してくれた旅行だったからというのもあるし、何よりベトナムで出会った人たちが皆ホスピタリティにあふれていたからだった。それに、何より「何か面白いことが起こるのが旅行の面白さだ」と思っていた。
旅の最後に、ホーチミンのHoa Tucというおしゃれなレストランを予約し、両親へのお礼にと、私が食事の費用を払うことにした。高価ではなかったものの、「こんな素敵な上品なレストランでご馳走してくれてありがとう」と父と母が何度も言ってくれたことが、少し照れくさく感じた。そして、今回の旅で起こったいくつかの出来事について笑いあった。
村上春樹がエッセイの中で「旅先でなにもかもがうまく行ったら、それは旅行じゃない」と書いていたように、旅行にはトラブルがつきものなのだ。たくさん準備したからといって全て計画通りに行くとは限らないし、計画通りにいかなかったからその旅は失敗ということもないのである。
あまり旅行には興味なさそう、かつトラブルが苦手そうに見える弟が、「旅行から戻って家に帰れるという安堵感が好きなんだよね」と以前言っていたことがあった。
とにかく旅に出かけたいという漂白の思いは、帰る場所があり、絶対に家に帰れる自信があるからこそ、湧き出てくるものなのかも知れない。
これからもそぞろ神に取り憑かれた父はあちこちへ旅へ出かけるだろう。
そしてその娘である私もまた、旅に出かけたくなっている。
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