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The Last of Us Part II すごいゲームだった考察

プレイヤーの感情を激しく揺さぶるゲーム

ご都合主義が働かないハードなストーリーで、脳みそをガツンと殴れるような内容のゲームでした。ラスアス1 の続編として注目が集まる商業用のゲームでこんな内容にしちゃう!?という挑戦的な内容でとてもよかったです。もっと王道なストーリーにして(せめてもう少し丸く)、多くのユーザーに共感されるような内容にもできたはずですが、あえてこっちの道を選択したのかと作り手の攻めを感じました。細かい内容はひとまず置いておいて、良くも悪くもプレイヤーの感情を激しく揺さぶるゲームだと言えます。その点でありきたりで退屈な内容の真逆に位置する尖ったゲームであり、僕はそこがとても気に入りました。またあまりに尖りすぎてるが故に、人によって大きく賛否が分かれる内容だとも思います。面白いが人にはおすすめできない作品になっています。

エリーに気持ちを重ねられない

中盤までは前作との違いに戸惑いました。前作はエリーを目的地まで連れて行って、ワクチンを作る話でした。旅の先には人類を救うという希望が待っていて、その希望に向かって苦難を乗り越えつつ、二人の絆が深まっていくというわかりやすいリニアなストーリーでした。世界を救うための大義を背負って旅するジョエルとエリーの二人に、プレイヤーも気持ちを重ねることができました。

ですが、今回は旅の目的が復讐となっていて、いきなり僕としては置いていかれた感じがしました。ジョエルがいろいろな恨みを買っているのは理解できるので、いつかその報復を受けてしまうのは予想の範囲内であり、キャラクターも覚悟しているものだという感覚がありました。なのでジョエルが報復を受けて、それに大きく動揺するエリーが復讐の旅にでる心情にいまいち乗ることができないまま、物語は進んできました。そしてエリーは非道な暴力を駆使して次々と復讐相手を殺害してきます。また今回はエリーと対峙する関係にあるアビーとエリーの二人のキャラクターをザッピング的にプレイしていきます。さらにエリーとアビーの過去もザッピング的に明らかになってきます。そのためプレイヤーはキャラクターの本心がわからず中盤まで気持ちを重ねられないままに二人のキャラクターを操作する形になっていきます。

「この先もずっとこの感じで進むの?大丈夫?多少は明るい要素とかないの?」

前作のように感情移入できるつもりでプレイしていたので、僕はプレイしていてこんな気持ちになっていました。その点でギャップに戸惑いました。

プレイヤーの感情を揺さぶるゲームシステム

気持ちがキャラクターに乗らないまま、エリーをプレイしていると一発一発重みをもって復讐相手を殴るボタンをプレイヤーに押させるという場面がでてきます。プレイヤー対してとても非情なゲーム構成になっています。

「え、これ殴りたくないんだけど、押すしかないの?」

このゲーム構成がラスアス2の最も特徴的な部分だと思っています。プレイヤーにとって不本意な暴力を、プレイヤーに強います。プレイしててとても辛いんですよね。

「エリーそこまでやる?もうよくない?もう帰ろうよ。」

そんな気持ちになりました。しかしこの辺で、このゲームはキャラクターに気持ちを重ねるのではなくて、復讐の渦中にあるキャラクター達を感じるゲームなのだなと僕はふと解釈しました。そこが前作と違いであり、その違いを理解したときにゲームのすごさを実感しました。( 1作目の焼き直しを防ぐために大きく手法を変えてきたのかもしれません)プレイヤーは感情移入する必要はなく、ただただこの狂気の世界を感じることでこのゲームの世界に入れるのではないかと思います。そういった楽しみ方をするゲームなのかもと思いました。ザッピングを重ねて互いの過去が見えていき、復讐の渦全体がだんだんと見えてくるにつれ、圧倒的な暴力表現が、怒りや憎悪を囚われたキャラクター達をリアリティを持って描き出し、プレイヤーをより暴力の世界へといざないます。そこからは世界観や細かく作り込まれたアクション、暴力シーンに圧倒される最高のゲーム体験になったと思います。

失う物語

物語の内容に触れておくと、今作は失う物語だと思います。初めにいた仲間は物語が進むごとに死んでいきます。復讐のために、次から次へと仲間を失い、復讐によって何を得られたのか。一体何の意味があったのか。ひたすらに虚しさだけが残るストーリー展開です。エリーとアビーは復讐のために互いに周りの大切な人を失っていきます。エリーは最後に指を数本失い、ギターの弦さえ押さえられなくなります。またその復讐劇の背景にはスカーやWLFの闘争があり、階層的に多くの人が復讐の連鎖の渦中にあり大事な人を失っていきます。遺物からは FEDORA と WLF との紛争も伺えます。そういった背景も復讐の連鎖の表現に重みを加えています。

失う中にも見出した希望

失う物語の中にも希望があるとすれば、ディーナとレブです。ディーナはエリーの恋人であり、子供を授かり、無事出産します。子供は失うばかりの物語のなかで、新たに加わった未来への希望です。またレブはアビーの唯一の仲間でありアビーが復讐の連鎖を断ち切るきっかけになった希望です。アビーがレブがいることで復讐をやめたことと、エリーがジョエルとの会話を思い出したことで、最後にやっと互いの復讐の連鎖は終わります。

「一生そのことは許せないと思う。でも許したいとは思ってる」

エリーがジョエルに言ったこの言葉が物語の終着点なんだと思います。互いに相手を許すことはできない。でもお互いに大切なものがあることも知っている。自分にだって大切なものはある。エリーとアビー、互いに自分を相手に重ねる二人は、たくさんのものを失って、許せないけど許したいと思うようになった。だからようやくこの恐ろしい復讐の連鎖が止まったんじゃないかと思いました。( アビーは単に疲れたようにも見えましたが )

誰が悪かったわけでもない

復讐の連鎖の始まりは不可抗力だったんだと思います。感染によって混沌とした世界の中で、真っ当に生きることは難しいです。誰しもが誰かを犠牲なくして生きてはいけません。ジョエルはそんな世界で生きるためにたくさんの人を殺めました。エリーもたくさん人を殺しました。当然の結末としてその報復を受けました。そうして復讐の連鎖が起こります。そんな世の中でも、不可抗力から始まった争いでも、その中で人間らしさをどうやって保つのか。なんてテーマがあったりするのかなという思いにふけました。もし作中に「復讐は醜い」なんてセリフを吐いたらおそらくかなりの駄作になったと思います。圧倒的暴力表現が30時間以上続いたのちに最後は虚しく幕引きする。きれいごとが一切ない、ご都合主義が一切ない内容だからこそ、相手を許す難しさが表現できているのではないかと思いました。

2作目は駄作だった

ゲーム中にジョエルが恐竜映画に言及したセリフに「二作目は駄作だった」という内容のものがあります。これはおそらく映画ジュラシックパークの続編、ロストワールドのことを言ってるのかなと思いました。そして、本作のことを自虐しているセリフのように感じて、クスっときました。1作目のキリンのシーンもジュラシックパークのブラキオサウルスとのやりとりと似ていたため、ラストオブアスではジュラシックパークをオマージュしているように感じました。

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