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「ハンディキャップ」というシステムは物々交換のゲームから生まれた

私はどうも「ハンディキャップ」という言葉好きでない。バスとか列車のある高齢者用、身障者用の席の存在もあまり好きでない。そんな席に若い学生などが座っているのを見るのはもっと好きでない。

もっと優しい心でそんな人たちに接すればおのずからどこの席でも譲れるのでは、と思ってしまうのです。

海外では、私たちを見るとすぐに席を譲ってくれた人がどれだけいたか・・・前回のトルコ旅行でも人の心の優しさがどんなに嬉しかったか・・・。

今日は「ハンディキャップ」がどのようにして生まれたか、というお話です。

中世のイギリスでは、物価の等しくない品物を交換する際、ハンド・イン・キャップ hand in cap手を帽子の中に入れる、と呼ぶゲーム(?)をする習慣がありました。その当事者はまず、審判役をする人を探し、審判が決まるとその審判を含めた3人とも補償金を帽子の中に入れました。

そして、この審判は物々交換の対象品のうちどちらの方が価値が低く交換を公平にするにはどれくらいの金を付加しなければならないか、を決めることを要求されました。

審判が判定に結果を付けると、2人の当時者はポケットに手を入れます。このとき、あらかじめポケットの中にお金を入れておいて、判定結果を聞いてポケットの中から金を出してみれば、審判の決定を承諾した合図になりました。2人ともお金を見せれば取引は成立した合図で、帽子の中の保証金は審判のものになりました。

もし、一方のみががお金を見せれば、物々交換は不成立ということのなり、お金を見せた方が補償金を取りました。両方ともお金を出さなければ取引は流れて審判がお金をとりました。

17世紀になってhand in capの制度が競馬に適用されるようになり、体重にばらつきをなくし公平を期すため、馬に荷重を与えて公平にするのをハンディキャップというようになったのです。また、人間に不利に作用する要素をもそう呼ぶようになったのです。

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