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今年はオリンピックの年、見に行きますか?

なかなか海外までは見に行けないと思います。万博が中国であった時には見に行きましたが。

私は韓国でオリンピックがある年、プサンで聖火リレーの煙だけを見ました。大勢の人だかりの中を聖火を持ち走っていたランナー…上の方に漂っていた煙だけを見ることができました。韓国の人たちはすごいエキサイトしていました。傍らを聖火ランナーと一緒に走っている人もたくさんいましたし。

また、ロンドンでオリンピックがあった時も、ちょうど北アイルランドに旅していた時で、そこでおこなわれている聖火リレーを見ることができました。

冬のオリンピックではノルウェーのリレハメルでオリンピックが行われた時、ちょうどノルウェーに帰っており(一人で帰っていました)、リレハメルでもその雰囲気をたっぷり見、味わってきました。原田選手がジャンプで失速した時のシーンは私はその町の本屋さんで見ました。

オリンピックが終わった次の日、私も日本に向けて帰国の途についたのですが、オスロ空港(まだあの頃は新しい空港ができていなかった)への道・・・あれほどのタクシーが同じ方向に走っているのを見たのは初めてでした。皆、オリンピックが終わり帰国しようとしていたのでしょう。

空港ではいつもはないサービスがありました。帰国しようとしている人に1本ずつ赤いバラの花が配られていました。私は持っては帰れないのでいただきませんでしたが。

空港の待ち時間、数人の有名人を見かけました。トーニャ・ハーデイングが目の前をジャーナリストのインタビューを受けながら通り過ぎていきました。思ったより小柄な人だと思いました。

リレ・ハメルオリンピックの次の冬季オリンピックが開催される長野市の市長ご一行も帰国しようとしていました。あの長野オリンピックの制服である紫色のコートを皆さん着ていらっしゃいました。空港では一緒に写真を撮らしてもらったりしました。彼らとは前日の閉会式の話などもしたのですが、閉会式に出てた日本女性、大学生だったそうですが、あれだけのパフォーマンスに23万円支払ったとか言ってました。閉会式では神田うのさんもパフォーマンスをしていらっしゃったけど、空港で彼女は見かけませんでした。別の飛行機で帰られたのでしょうね。

彼ら、ご一行とは同じ飛行機で(ルフトハンザドイツ航空でした)フランクフルトまで一緒でした。その先は、彼らは東京へ、私は関西へで別れましたが。

飛行機の中で、隣近所に座ったのはほとんどドイツチームの選手ばかりでした。あのドイツのスポーツ選手のユニフォームカラーである白黒の衣服を着衣していました。

全然どなたか知らなかったのですが、オスロ空港で目立っていた黒人女性が関空まで同じ飛行機でした。今でもどなただったのだろうか、と思います。帰国到着口を出ると待っていたジャーナリスト、それに数人の誰かが花束を彼女に渡すと一緒にどこかに消えました。

ところで、わが娘はバルセロナオリンピックと北京オリンピックを見に行ったことがあります。このことについては、また、別の記事で・・・。

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