ガザ問題に寄せて。現状を変えられないならせめて。

ガザ問題に寄せて。

イスラエルによる大虐殺が始まって何日が経過しただろうか。日本では変わらぬ日常を過ごせてしまう自分がいる。現状を変えられないもどかしさを同じように持ち合わせている日本人が恐れながらも何人いるのだろうか。
現状に対して憤りを感じながらも声には出さず、心の内で怒っている人ももちろんいるだろう。身近な人間とだけはそういった事柄について話をする機会を作っている人ももちろんいると思う。朝を迎えて、歯を磨き、顔を洗う。そんな気だるい日常がどれほど恵まれているか、バイトまでの暇な時間をどうやって潰そうかなんて考えることそれ自体が彼らにとってはどれほど幸せなことなんだろうかなとふと頭によぎる。もう12月だ。バイトして、好きな音楽を聴きにクラブへ行く。電車で乗り過ごしては、なんとか家に着いての繰り返し。そんなくだらないことを繰り返してはもう一年が終わってしまうではないかと気づく。せめて、現状を変えることが出来ないのなら、声を上げよう。こんなことを思ってしまってはいけないことぐらい自分でも分かっている。けれど、何回この現状に対する解決策を繰り返し考え、どう足掻いてみても思いつかない。別に全員がソーシャルメディアに自分の意思表明を挙げろなんて上から目線で物事を言いたくない。だけど、このまともじゃない現状を知ってもなお、まともな精神状態でいられる人間は果たしてまともなのだろうか。シオニズムに加担するマックやスタバを絶対買うな。不買運動を徹底的にしろなんてことを言えるほど、自分だって聖人じゃない。こんなことを言ってる僕だって、この社会構造の中で何らかの形でイスラエル側に加担してしまっているかもしれない。何が言いたいかっていうと、もっと僕たちは醜く、抗っていいんじゃないかな。どうやっても自分の力が行き届かないこの惨状にNOを突きつけるために。せめて、声をあげよう。醜くたっていい。しょうもなくたっていい。真っ当であれなんて思わなくてもいい。1人でも多くの命が無事であって欲しいと願う。憎しみの連鎖を断ち切るために。

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